神田明神 目次
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【関連サイト】 平成15年 神田明神 神幸祭(H15-05-10)
平成17年 神田明神 神幸祭(H15-05-14)
平成19年 神田明神 神幸祭(H19-05-12)<全行程掲載>




神田明神

営団千代田線で新御茶ノ水から聖橋を渡り、湯島聖堂に沿って昌平坂を下っていくと神田明神がある。見た目は小さな神社であり、これがあの神田明神か、と思う。

神田明神 神幸祭(H15−05−10)

江戸開府400年祭の一環で例年になく大規模に執り行われ、30kmの行程を各地の町内会の氏子が迎えつつ、巡行する様は豪華絢爛である。さすがは江戸時代から続く一大絵巻、と思わざるを得ない。

神田明神 神幸祭(H17−05−14)

神田明神から、神保町、将門塚、岩本町、馬喰町・横山町繊維問屋街、両国旧御仮屋、浜町、水天宮、三越本店を歩く。江戸時代から続く祭礼で、各町会での出迎えも歴史を感じさせ、特に三越本店から三越いるかや、だるま、相馬野馬追神事騎馬武者、今年の目玉大鯰と要石などの附け祭が加わり、歩道は人が溢れ、歩くことも、写真を撮ることもままならない。一の宮鳳輦の青色、二の宮鳳輦の黄色、三の宮鳳輦の赤色と、巡行に従う人々の服も色鮮やかで、美しい。将門塚で演じられる将門太鼓、松枝町の羽衣山車、日本橋魚河岸発祥の地碑などもある。

神田明神 神幸祭(H19−05−12)<全行程掲載>

発輦祭前の境内には、御社殿前に整列した神人の持つ七色旗や、加茂能人形山車の色鮮やかさ、三鳳輦の華やかさが素晴らしい。氏子や鳶が前に詰めたため、発輦祭風景はほとんど撮れない。鳳輦は担がず、山車のように車に乗せて引っ張っていく。引っ張る神人の服装も一の宮鳳輦(大己貴命)は青、二の宮鳳輦(少彦名命)は橙、三の宮鳳輦(平将門命)は黄と分けられ、5月の青空によく映えている。かんかん帽に黒羽織、白袴の先導を先頭に、各鳳輦ごとに七色旗、神旗などが付いた一の宮鳳輦、二の宮鳳輦、三の宮鳳輦が続き、最後は太神楽である。各地区の町会はご祝儀を渡して手拭をもらい、三三七拍子で締めていくを繰り返す。遅れて午後の小休止を省いた2年前の反省か、しばしば鳳輦を走らせるため、付いていくのも大変である。将門塚では将門太鼓が打たれ、慰霊祭が行われる。岩本町一丁目交差点には美しい羽衣山車が鳳輦を出迎える。吉田松陰などが処刑された小伝馬町牢屋敷の裏にある十思スクエア前を通り、繊維問屋街の馬喰町、横山町を経て、両国旧仮置屋の川崎大師東京別院の薬研堀不動院隣の駐車場に鳳輦を収めて昼食休憩となる。横山町大通りは繊維問屋の大勢の店員が見物し、両国旧仮置屋は大混雑である。清洲橋通りを南下、大勢の見物客のいる明治座前を過ぎ、女性的な美しさで知られる清洲橋手前で西に曲がり、水天宮に向う。堀留児童公園から金座通りまでの道を行進する相馬野馬追いの騎馬隊は、10騎足らずで近くで見る甲冑は年代物であるが、威風堂々と見えるから不思議である。例年は三越からなのに、騎馬隊同様先行していた附け祭の大江山凱陣、大鯰と要石は小舟町交差点で待機していた。秋葉原ドンキホーテ界隈は電気街の中心であり、鳳輦との対比が面白い。神田明神通りを上る鳳輦と、秋葉原再開発で出来たUDXなどの高層ビルとの対比も一幅の絵になる。秋葉原名物のメードも見物に現れ、写真を撮る人が多かった。鳶たちが唄う朗々たる木遣りと共に明神坂を粛々と上る三鳳輦は、夕闇の中で幻想的である。神田明神の境内は発輦祭と比べ物にならない人出で、狭い境内は立錐の余地なく、写真を撮ろうにもシャッターを切るのが精一杯である。

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