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白山通り(中山道) 千石駅前交差点で右折、白山通りへ
千石駅前交差点で、白山上交差点で旧白山通りと合流した中山道が左から来て白山通りと合流し、白山通り(中山道)となる。 |
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文京区 Bーグルバス #18 特養ホーム 白山の郷
左の建物が特養ホーム 白山の郷である。 |
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白山通り 東洋大学 6号館 |
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文京区 Bーグルバス #30 東洋大学前
東洋大学は旧白山通りに続く中山道沿いが中心であるが、白山通りに面して6号館がある。 |
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文京区 Bーグルバス #30 東洋大学前
上のループの終点である左端下の近くまで来ている。 |
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文京区 Bーグルバス #31 白山五丁目 |
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白山通り 白山下交差点
白山下交差点は名前は同じだが、いくつもの場所に名付けられている。左から旧白山通りからの連絡道路が交差するこの場所は白山下交差点で、この道路と旧白山道りと交差する所も白山下交差点、少し先の旧白山通りと分岐する所も同じ名前である。 |
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白山通り 白山下交番を左に回り、旧白山通りへ
左の白山下交番は、白山通りと旧白山通りとの合流点にある。 |
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文京区 Bーグルバス #11 白山下
文京シビックセンターから千駄木駅に向かう往路でも通ったバス停である。
以前は千石駅の方から千駄木駅方向に向かう時は、#31の白山五丁目交差点で降り、乗換券をもらってこの交差点まで歩いてきた。この不便をなくすため、このバス停で乗り換えができるようにした。このため、白山下交差点でぐるっと一周する運行を行う。 |
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旧白山通り 白山下交差点で左折、白山通りへ
往路では右側の旧白山通りに向かう。 |
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白山通り 白山下交差点に戻り南下 |
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文京区 Bーグルバス #32 指ヶ谷小学校
バス停横でマンションの工事が行われており、少し先に臨時バス停が設けられている。 |
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文京区 Bーグルバス #32 指ヶ谷小学校
他のバス停に比べ貧弱で、木立にまぎれて見落とし、引き返した。 |
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文京区 Bーグルバス #33 白山一丁目 |
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白山通り 樋口一葉終焉の地碑
紳士服のコナカビルの駐車場脇に樋口一葉終焉の地碑がある。 |
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白山通り 樋口一葉終焉の地碑 |
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白山通り 樋口一葉終焉の地碑
一葉の本名は奈津。なつ、夏子とも称した。明治5年(1872)東京府内幸町(現・千代田区内幸町)に生まれ、明治29年(1986)この地で、24年間の短い生涯を閉じた。文京区在住は十余年を数える。
明治9年(1876)4歳からの5年間は、東京大学赤門前の家で恵まれた幼児期を過ごした。一葉はこの家を懐かしみ”桜木の宿”と呼んだ。
父の死後戸主になった一葉は、明治23年(1890)9月本郷菊坂町(現・本郷四丁目31・32)に母と妹の3人で移り住んだ。作家半井桃水に師事し「文学界」同人と交流のあった時期であり、菊坂の家は一葉文学発祥の地といえる。
終焉の地ここ丸山福山町に居を移したのは、明治27年(1994)5月のことである。守喜という鰻屋の離れで、家は六畳二間と四畳半一間、庭には三坪ほどの池があった。この時期「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」「ゆく雲」など珠玉の名作を一気に書き上げ、“奇跡の二年”と呼ばれている。「水の上日記」「水の上」等の日記から丸山福山町での生活を偲ぶことができる。 |
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文京区 Bーグルバス #34 文化シャッター前 |
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白山通り 西片交差点 |
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文京区 Bーグルバス #35 春日駅
西片交差点を渡ってすぐにこのバス停がある。 |
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白山通り 春日町交差点で右折、春日通りへ |
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白山通り 春日町交差点から見た文京シビックセンター |
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春日通り 富坂下交差点で左折 |
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東京メトロ(旧営団) 後楽園駅
手前に礫川公園があり、その前にBーグルバスの終点であり、始発でもある文京シビックセンターバス停がある。 |
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文京区 Bーグルバス 終点 文京シビックセンター |