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田端区民センター〜田端二丁目〜田端文士村記念館

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春のうららのさくら路と文士の田端を歩く(H18-04-08)


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谷田川通り 谷田橋交差点で左折、田端駅前通りへ 谷田川通り 谷田橋交差点で左折、田端駅前通りへ 

交差点名はないが、右に谷田橋薬局があり、田端駅前通りは一目で分かるほど大きな道路である。

田端駅前通りは都道458号(白山小台線)の通称である。
谷田川通り 谷田橋交差点で左折、田端駅前通りへ 谷田川通り 谷田橋交差点で左折、田端駅前通りへ 
田端駅前通り 谷田橋交差点 田端文士芸術家村散歩道 田端駅前通り 谷田橋交差点 田端文士芸術家村散歩道 

田端駅前通りにはこのような案内板が設けられている。

萩原 朔太郎

 詩人萩原朔太郎は大正14年4月上旬、室生犀星の紹介で大井町から田端に移住し、鎌倉材木座に移る11月までを過ごします。朔太郎は犀星と毎日のように会い、芥川龍之介や堀辰雄・中野重治・窪川鶴次郎・平木二六などとも知り合い、8月には「純情小曲集」を刊行、妹を伴って軽井沢で避暑の犀星を訪れ、龍之介や辰雄と遊びます。
田端駅前通りを東進 田端駅前通りを東進 

田端駅前通りには、芥川龍之介の河童に因んだ「りゅうのすけくん」の幟が飾られている。

大森駅前にも馬込文士村として多くの遺構が整理されている。
田端駅前 田端八幡神社 田端駅前 田端八幡神社 

赤紙仁王尊(東覚寺)の赤紙仁王が横に見える。

このハ幡神社はヽ田端村の鎮守として崇拝された神社で品陀和気命(応神天皇)を祭神としています。神社の伝承によれば、文治五年(一一八九)源頼朝が奥州征伐を終えて凱旋するときに鶴岡八幡宮を勧請して創建されたものとされています。別当寺は東覚寺でした。
 現在東覚寺の不動堂の前にたっている一対の仁王像(赤紙仁王)は、明治元年(一八六七)の神仏分離令の発令によって現在地へ移されるまでは、この神社の参道入□に立っていました。江戸時代には門が閉ざされていて、参詣者か本殿前まで進んで参拝することはできなかったらしく、仁王像のところから参拝するのか通例たったようです。
田端駅前 田端八幡神社 田端駅前 田端八幡神社 
田端駅前 東覚寺(赤紙仁王尊) 田端駅前 東覚寺(赤紙仁王尊) 

 石仏仁王の背銘に「施主道如宗海上人東岳寺賢盛代、寛永十八年巳天八月廿一日」と刻まれている。西暦一六四一年より露仏で立っていることになる。仁王は、本末清浄な寺院の境内を悪から守る金剛力士として山門の両側に立ち、仏法僧の三宝を守護するものであるが、この赤紙仁王は当時江戸市中に流行していた疫病を静めるため宗海上人が願主となって建立されたもので、いつのころからか赤紙(悪魔を焼除する火の色)を自分の患部と同じ箇所に貼って病気身代りと身心安穏を願うようになった。
 右の阿像は口を大きく開けて息を吸い込んでいる状態即ち「動」を表し、左の吽像は口をしっかりと結んで息を止めている状態即ち「静」を表している。阿吽の姿は密教で説く胎蔵界、金剛界の二界を表し、又宇宙一切のものの始めと終りを表している。阿像から吽像へと祈願し、満願のあかつきにはお礼として草鞋を奉納する。祈願者、病人を見舞うため日夜歩かれるのでさぞかし草鞋が必要であろうという思いやりからである。
田端駅前 東覚寺(赤紙仁王尊) 田端駅前 東覚寺(赤紙仁王尊) 

4年前にイベントで来た時より全体に新しく、田端駅前通りから奥に引っ込んでいるのが奇異に感じられた。その理由は道路拡張のための移転による。
田端駅前 東覚寺(赤紙仁王尊) 田端駅前 東覚寺(赤紙仁王尊) 
田端駅前 東覚寺(赤紙仁王尊) 田端駅前 東覚寺(赤紙仁王尊) 
田端駅前 東覚寺(赤紙仁王尊) 田端駅前 東覚寺(赤紙仁王尊) 

赤紙仁王(石造金剛力士立像)
 参詣客が赤色の紙を貼るため‘赤紙仁王'の名で呼ぱ11るようになった。
東覚寺の金剛力士立像は、吽形像の背面にある銘文から、寛永18年(1641)8月21日、東覚寺住職賢盛の時代に、宗海という僧侶が願主となって造立されたことが分かります。一説によれば、当時は江戸市中で疫病が流行しており、宗海は、これを鎮めるために造立したのだそうです。
 参詣客が赤紙を貼る理由は、そのようにして祈願すれば病気が治ると信じられてきたからで、具合の悪い部位と同じ箇所に赤紙を貼るのが慣わしです。また、祈願成就の際には草鞋を奉納すべしとされています。ただし、赤紙仁王に固有のこうした習俗が発達したのは明治時代のことで、その背後には仁王像を健脚や健康をかなえる尊格とみなす庶民独自の信仰があったと考えられます。なぜなら、かって日本各地には病気平癒を祈願して行う類似の習俗があったからです。そのため、赤紙仁王は、文化形成における庶民の主体性や独自性を強く表現した作品でもあるのです。
 なお、赤紙仁王は、江戸時代の末までは田端村の鎮守である八幡神社の門前にありました(左図)。しかし、明治初期の神仏分離を機に、かって東覚寺にあった九品仏堂前に移され、以後はそこで人びとのお参りをうけてきました。また、平成20年10月には、道路拡張工事のために従来の位置から約7メートル後方に移動し、平成21年8月に竣工した新たな護摩堂とともに、今後の世の趨勢を見つめていくことになりました。
田端駅前 東覚寺(赤紙仁王尊) 田端駅前 東覚寺(赤紙仁王尊) 

石造金剛カ士立像は、全身に赤紙が貼られているので、通称赤紙仁王とも呼ばれています。身体の悪い人が、疾患のある部分に赤い紙を貼って祈願すれば、病気が回復すると信じられ、現在も、なお、祈願する人が絶えません。横の草鞋は、祈願して病気の回復したとする人々によって供えられたものです。

この赤い紙はプラスチックで出来ており、水に濡れても大丈夫になっている。
田端駅前通り #5 田端二丁目バス停 田端駅前通り #5 田端二丁目バス停 

後方に田端駅前通りを跨ぐ童橋、その後方に駅前の東台橋が見える。
北区 Kバス 田端循環ルート #5 田端二丁目 北区 Kバス 田端循環ルート #5 田端二丁目 
田端駅前通りを東進 田端駅前通りを東進 

左に駅前の田端アスカタワーが聳え、手前に東台橋がある。
田端駅前通り 田端駅前交差点で左折、江戸坂へ 田端駅前通り 田端駅前交差点で左折、江戸坂へ 
田端駅前通り 田端駅前交差点で左折、江戸坂へ 田端駅前通り 田端駅前交差点で左折、江戸坂へ 

この案内は親切である。右角奥に田端駅があり、バス停が「JR田端駅」なので道なりに直進しかねない。
田端駅前交差点 田端アスカタワー 田端駅前交差点 田端アスカタワー 
北区 Kバス 田端循環ルート #6 JR田端駅 北区 Kバス 田端循環ルート #6 JR田端駅 

確かに田端駅近くであるが、バス停名は後方の田端文士村記念館の方が正確である。

バス停の後方、江戸坂沿いに田端文士村記念館がある。芥川龍之介、室生犀星、小杉放庵、板谷波山ら、田端にゆかりのある作家・芸術家の原稿、書簡、絵画、彫刻などを展示。



 
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