品川〜旧東海道 品川宿〜大井町
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JR 品川駅(港南口) | |
品川インターシティと、品川グランドコモンズ 品川港南口再開発により出来た高層ビル群で、左が品川インターシティ、右側が品川グランドコモンズである。 |
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品川インターシティと、品川グランドコモンズ | |
八ツ山橋踏切 品川グランドコモンズを南下し、京王品川ビルの連絡通路を出ると右手に八ツ山橋踏切がある。この踏切を横に横断して旧東海道の北品川宿に向う。写真の進行方向に向うと第一京浜に出る。 |
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旧東海道の案内板 八ツ山橋通りと京急本線との間の狭い道の踏み切り前にあり、半年前には貧弱な案内板だった。 |
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旧東海道 品川宿案内標 これも同じく半年前にはなかった。品川祝に入ってすぐにある標識で、番号を追えばよいので便利である。 |
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旧東海道 品川宿案内標 | |
旧東海道 品川宿 土蔵相模跡 旅籠屋を営む相模屋は外壁が土蔵のような海鼠壁だったので、土蔵相模と呼ばれていました。一八六二年(文久二)品川御殿山への英国公使館建設に際して、攘夷論者の高杉晋作や久坂玄端らは、この土蔵相模で密議をこらし、同年十二月十二日に焼き討ちを実行しました。幕末の歴史の舞台となったところです。 |
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旧東海道 品川宿 | |
旧東海道 品川宿案内標 | |
旧東海道 品川宿 本陣跡、聖蹟公園 品川宿は、江戸四宿の一つで、来海道五十三次の第一番目の宿駅として発達した。ここはその本陣跡であり、品川三宿の中央に位置していた。来海道を行き来する参勤交代の諸大名や、公家・門跡などの宿泊・休息所として大いににぎわったところである。明治五年(一八七二)の宿駅制度廃止後は、警視庁病院などに利用された。 現在、跡地は公園となり、明治元年 (一八六八)に明治天皇の行幸の際の行在所となったことに因み、聖蹟公園と命名されている。 |
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旧東海道 品川宿 品川橋 目黒川に架かる橋で、後方の赤い橋は荏原神社の神橋、川を溯ると京急本線の新馬場駅である。 品川橋は、旧東海道の北品川宿と南品川宿の境を流れる目黒川に架けられ江戸時代には境橋と呼ばれていた。 |
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旧東海道 南品川宿 品川橋を渡った所にあり、以前はかすれて見え難い板だった。 日本橋から東海道を上り、目黒川を渡ると南品川宿に入ります。この高札の場所は、脇本陣跡で、百足屋治兵衛が営んでいました。品川宿を南北にわけていた目黒川は、大正時代末頃まで大きく蛇行し、荏原神社の北側を流れていました。 |
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旧東海道 南品川宿 | |
旧東海道 品川宿案内標 天妙国寺にはお富・与三郎と桃中軒雲右衛門の墓がある。お富・与三郎の方は探しても分らなかったが、桃中軒雲右衛門の墓は墓地に入ってすぐに分る。 |
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青物横丁 ジュネーブ平和通りとの交差点で右折 旧東海道は更に京急本線(第一京浜)に沿って続き、大森の鈴ヶ森刑場跡まで到る。交差点の右側には京急本線の青物横丁駅が見える。 |
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京急本線 青物横丁駅 先の歩道橋は第一京浜との交差点である。 |
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ジュネーブ平和通り この通りは、品川区とジュネーブ市との友好親善の発展を願い命名されました。 |
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ジュネーブ平和通り | |
青物横丁交差点でジュネーブ平和通りは、池上通りに改称 直進して第一京浜を渡り、池上通りを進む。 |
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仙台坂を上る | |
仙台坂を上る 仙台藩主伊達家の下屋敷や、仙台味噌の醸造所があったことから、仙台坂と呼ばれている。 もとは、この坂の南方、海晏寺と泊船寺との間にある坂の名であったが、のちにこの坂の方が道幅が広がり、交通量が多くなったため、坂名が移転したものといわれている。 旧仙台坂は大井町駅から区役所通り(りんかい線が走る)に沿って下る坂で、かなりの急坂である。 |
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仙台坂を上る | |
区役所通りを渡って、池上通りを西進 | |
JR 大井町駅 |