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外堀通り 新橋交差点で右折、第一京浜へ
交差点右手奥に汐留シオサイトの汐留シティセンターが見える。 |
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第一京浜 ゆりかもめ 新橋駅の高架下を進む |
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第一京浜 日比谷神社
JRの高架を通り過ぎ、環状2号線の工事現場脇にある。元々は日比谷公園内にあったが、江戸城の拡張や東海道線敷設で遷座し、新橋4丁目に移った。今回環状2号線の工事により、2年前の平成21年に現在地に遷座した。
日比谷神社の謂れなどの案内はない。 |
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第一京浜 建設中の環状2号線
虎ノ門から、日比谷神社の新橋側を通り抜けてゆりかもめ線汐留駅まで抜ける道路で3年後の平成26年開通予定である。 |
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第一京浜 新橋五丁目交差点
さすがに残り1週間の歳末で、裸木に近いイチョウ並木が痛々しい。 |
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第一京浜 汐留シオサイト 5区イタリア街
第一京浜を歩いていると、時折左手に汐留シオサイトの5区イタリア街が見える。
汐留シオサイトの5区イタリア街は、イタリア人建築家監修の元に建てられたビルが並ぶおしゃれな街。ホテルやレストラン、オフィスなどが入る落ち着いたたたずまいはイタリアに来た気分にさせてくれる。 |
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第一京浜 浜松町一丁目交差点
左奥の木立が日赤本社で、右折して進むと愛宕警察署、御成門交差点を経て神谷町交差点に着く。 |
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第一京浜 大門交差点で左折 |
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第一京浜 大門交差点で左折 |
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JR 京浜東北線・根岸線 浜松町駅 |
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世界貿易センタービル 界隈案内図 |
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大門交差点に戻り左折、第一京浜を南下
正面に東京タワーが見え、左に建物の影に隠れそうだが六本木ヒルズの森タワーがある。道路正面には葵の紋が付いた白い幕がかかる大門がある。 |
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第一京浜 浜松町 町名の由来
乱世を迎え太田道灌、平川城(江戸城の前身)を築く頃には、町らしき形態に成長したと考えられ、天正十八年(1590)徳川家康の江戸城入城を見、城下町計画に着手。慶長三年(1598)その菩提寺増上寺を麹町より現在地に移転、更に武家を中心に町年寄、特権商人、地元住民による東側海浜地帯の埋立工事完成。慶長六年(1603)東海道を現国道15号線上に定め、此の東西両側には日常生活用品から産業用資材まで各種商人が軒を連ね商業地域の中心となり、その両後背に大名屋敷が並ぶ江戸の町が出現した。当時此の町は増上寺代官と兼任であった、名主奥住久右衛門の支配下で「久右衛門町」と呼ばれ、元禄年間には遠江(静岡県)浜松出身の権兵衛と言ふ名主と交替した事より、これ以後「浜松町」に改名された。 |
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第一京浜 浜松町 町名の由来 |
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第一京浜 古川に架かる金杉橋
高架は首都高都心環状線である。 |
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第一京浜 芝陸橋
冬の風物詩である箱根駅伝の交通規制の幕が架かる。 |
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第一京浜 芝四丁目交差点でほぼ直角に右折、西進 |
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第一京浜 芝5丁目交差点で日比谷通りが合流 |
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第一京浜 芝5丁目交差点 江戸開城 西郷南洲、勝海舟会見之地
三菱自工のショールームがある第一田町ビル前にある。
田町薩摩邸(勝・西郷の会見地)附近沿革案内
この敷地は明治維新前夜慶応4年3月14日幕府の陸軍総裁 勝海舟が江戸100万市民を悲惨な火から守るため、西郷隆盛と会見し江戸無血開城を取り決めた「勝・西郷会談」の行われた薩摩藩屋敷跡の由緒ある場所です。
この蔵屋敷(現在地)の裏はすぐ海に面した砂浜で当時、薩摩藩国元より船で送られて来る米などは、ここで陸揚げされました。
現在は、鉄道も敷かれ(明治5年)更に埋め立てられて海までは遠くなりましたが、この附近は最後まで残った江戸時代の海岸線です。
また人情噺で有名な「芝浜の革財布」は、この土地が舞台です。 |
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第一京浜 田町駅西口交差点で左折 |
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JR 京浜東北線・根岸線 田町駅 |
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第一京浜 札の辻交差点
江戸時代のはじめ、ここに高札場が設けられて、布告法令などが掲示されたところから、札の辻と呼ぶようになりました。元和二年(一六一六)には、芝口門をここに建てて、江戸正面入口としての形式を整えました。この門は「日暮御門」といわれましたが、これはこの東がすぐ江戸湾に接し、海を隔てて房総の山々を望む、一日眺めてもあきない景色であったためといわれます。
その後高札場は、天和三年(一六八三)に南方の高輪(後の大木戸の場所)に移されました。また、宝永七年(一七一〇)に、芝ロ門は新橋北側に建替えられ、ここは「元札の辻」と呼ぶようになりましたが、明治維新後はまた「元」を略して「札の辻」と呼んでいます。 |
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第一京浜 札の辻交差点 三田ツインビル西館 |
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第一京浜 高輪大木戸跡
泉岳寺交差点の少し手前にあり、第一京浜を蔽うような大きな木と石垣で、一目でこれは何だろうと思わせる。
高輪大木戸は、宝永七年(一七一〇)に芝口門にたてられたのが起源である。享保九年(一七二四)に現在地に移された。旧東海道の両側に石垣を築き夜は閉めて通行止とし、治安の維持と交通規制の機能を持っていた。天保二年(一八三一)には、札の辻から高札場も移された。江戸時代後期には木戸の設備は廃止され、現在は、石垣のみが残されている。 四谷大木戸は既にその痕跡を止めていないので、東京に残された、数少ない江戸時代の産業交通土木に関する史跡として重要てある。 |
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第一京浜 高輪大木戸跡 |
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第一京浜 高輪大木戸跡 |
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第一京浜 泉岳寺交差点 |
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第一京浜 泉岳寺交差点
交差点手前の道路の向かい側には都営浅草線泉岳寺駅がある。右折すると突き当りが泉岳寺である。 |
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第一京浜 高輪二丁目交差点
右折して桂坂を上り、高輪警察署前交差点で二本榎通りを渡り、明治学院前交差点で桜田通りへ入る。 |
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第一京浜 品川駅前交差点で左折 |
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JR 京浜東北線・根岸線 品川駅 |