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上野公園 旧東京音楽学校奏楽堂前広場
黒田清輝記念館前交差点で都道神田白山線(452号)を渡り左折、上野公園へ入ってすぐ奥の木立の中にある。 |
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上野公園 公園案内図 |
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上野公園 旧東京音楽学校奏楽堂(重要文化財) |
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上野公園 旧東京音楽学校奏楽堂(重要文化財)
この建物は、明治二十三年(一八九〇)東京音楽学校(現東京芸術大学)本館として建設された。設計は山口半六、久留正道で、わが国初の本格的な音楽ホールであり、音楽教育の記念碑的な存在である。 中央天井をヴォールト状(かまぼこ型)に高くし、視覚、排気、音響上の配慮がなされている。また、壁面や床下に藁や大鋸屑が詰められ、遮音効果をあげるなど技術的な工夫があり、貴重な建築物である。
この奏楽堂からは、滝廉太郎を始めとする幾多の音楽家を世に送り出してきたが、老朽化が進み、取壊しの危機にひんしていた。しかし、音楽関係者を始めとする多くの人々の保存に対する努力が実り、昭和六十二年三月、歴史と伝統を踏まえ、広く一般に活用されるよう、この地に復元された。 |
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上野公園 旧東京音楽学校奏楽堂(重要文化財) 滝廉太郎像
旧奏楽堂入口の右にあり、彫刻家の朝倉文夫作である。 |
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上野公園 東京都美術館沿いに東進 |
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上野公園 東京国立博物館 |
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上野公園 大噴水(噴水池)
ながらく大噴水を中心とした竹の台は白い工事用防護壁で覆われていた。噴水池の周辺は変わったとも思えないが、大噴水前広場に大きな休憩所が出来、中高校の修学旅行生で賑わっている。 |
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上野公園 寛永寺根本中堂跡
江戸時代、現上野公園の地は東叡山寛永寺境内で、堂塔伽藍が建ち並んでいた。いま噴水池のある一帯を、俗に「竹の台」と呼ぶ。そこには廻廊がめぐらされ、勅額門を入ると、根本中堂が建っていた。根本中堂は中堂ともいい、寛永寺の中心的堂宇で、堂内に本尊の薬師如来が奉安してあった。斎藤月岑作『武江年表』元禄十一年(一六九八)の項には、「八月、東叡山寛永寺根本中堂、文殊楼、仁王山王社建立。二十八日中堂に入仏あり。九月六日、瑠璃殿の勅額到着」とある。瑠璃殿は中堂の別称で、本尊を薬師瑠璃光如来ともいったのにちなむ。瑠璃殿は阪東第一といわれたほど、荘厳華麗であった。瑠璃のように美しかったであろう。中堂前両側には、近江延暦寺中堂から根分けの竹が植えられ、「竹の台(うてな)と呼ばれた。
竹の台はその名によるものである。慶応四年(一八六八)五月十五日、彰義隊の戦争がこの地で起こり、寛永寺堂塔伽藍はほとんどが焼けた。 |
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上野公園 寛永寺根本中堂跡のカンザクラ |
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上野公園 寛永寺根本中堂跡のカンザクラ |
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上野公園 大噴水前広場 スターバックス休憩所
上野公園には所々にベンチが置いてあるが、しっかり休憩できる場所はなかった。大きな休憩所で、それがコーヒーのスタバであり、賑わうのは当然である。 |
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上野公園 大噴水前広場
広場を突き抜けると有名な桜の並木で、右折すると上野動物園、左折すると西洋美術館、東京文化会館を経て上野駅の公園口に着く。 |
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上野公園 公園案内図
現在地は西洋美術館前である。 |
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上野公園 西洋美術館
西洋美術館の前庭には、中学の美術の教科書に載っているロダンなどの有名な彫刻が屋外展示されている。 |
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上野公園 国立西洋美術館 前庭彫刻群 ロダン作 考える人 |
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上野公園 国立西洋美術館 前庭彫刻群 ロダン作 カレーの市民 |
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上野公園 国立西洋美術館 前庭彫刻群 ロダン作 地獄の門 |
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上野公園 国立西洋美術館 前庭彫刻群 ロダン作 地獄の門 |
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上野公園 国立西洋美術館 前庭彫刻群 ロダン作 地獄の門 |
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上野公園 国立西洋美術館 前庭彫刻群 ブールデル作 弓を引くヘラクレス |
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上野公園 国立西洋美術館 |
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上野公園 国立西洋美術館の向かいは東京文化会館 |
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上野公園 東京文化会館 |
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JR 山手線 上野駅 公園口 |