大本山 法華経寺

【関連サイト】 JR 総武線(平成15年撮影)
有名仏閣 池上本門寺


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大本山 法華経寺 中山参道 総門 大本山 法華経寺 中山参道 総門 
大本山 法華経寺 中山参道 山門 大本山 法華経寺 中山参道 山門 
大本山 法華経寺 参道 大本山 法華経寺 参道 

長い参道の両脇に多くの塔頭が並ぶ。
大本山 法華経寺 大本山 法華経寺 
大本山 法華経寺 大本山 法華経寺 

 正中山法華経寺は、祖師日蓮の足跡が認められる日蓮宗の霊跡寺院・大本山です。
 中世、この地は八幡荘谷中郷と呼ばれ、下総国守護千葉氏の被官である富木常忍心と太田乗明が館を構えていました。彼らは曽谷郷の曽谷氏とともに、日蓮に帰依してその有力な檀越となりました。時に鎌倉時代の中期、建長年間(一二四九〜五五)頃のことです。
 彼らの館には持仏堂が建立され、のちにそれが寺院となったのが法華経寺の濫觴です。若宮の富木氏の館は法華寺、中山の太田氏の館は本妙寺となり、当初は両寺が並びたって一寺を構成していました。この両寺が合体して法華経寺を名乗るのは、戦国時代の天文十四年(一五四五)以後のことです。
大本山 法華経寺 案内図 大本山 法華経寺 案内図 

現在地は左下隅である。
大本山 法華経寺 重要文化財 祖師堂 大本山 法華経寺 重要文化財 祖師堂 
大本山 法華経寺 重要文化財 祖師堂 大本山 法華経寺 重要文化財 祖師堂 

 祖師堂は宗祖日進聖人をお祀りするお堂で、最初は鎌倉時代の正中二年(一三二五)に上棟した小規模な五間堂でした。その後、焼失などのため数回の再建があり、現在の祖師堂は江戸時代中期の延宝六年(一六七八)に上棟されたものです。
 建物は大規模な七間堂で、屋根を二つ並べたような比翼入母屋造の形式を持つのが特徴です。このお堂の他に比翼入母屋造の屋根を持つのは全国でも岡山県にある吉備津神社本殿(国宝)だけです。堂内は、正面の吹き放し外陣、内部の広い内陣、それに両脇の脇陣と背面の後陣に区切られています。
 祖師堂は関東地方では数少ない大型日蓮宗仏堂の典型で、その規模や形式は当時の庶民信仰の動向を知る上での一指標として位置付けられるとともに、建立年代が明確な建造物としても重要です。
大本山 法華経寺 重要文化財 五重塔 大本山 法華経寺 重要文化財 五重塔
 
大本山 法華経寺 重要文化財 五重塔 大本山 法華経寺 重要文化財 五重塔 

建策年代 江戸時代元和八年(一六ニニ)
 この五重塔は本阿弥光室が両親の菩提を弔うために、加賀藩主前田利光公の援助を受けて建立したものです。塔の総高は九八尺(約三十m)で近世の五重塔としては標準的な規模となり、東京都大田区池上にある本門寺の五重塔(重要文化財)や台東区上野の寛永寺五重塔(重要文化財)とほぼ同じですが、他のものと比較すると軒の出が少ないので細長い感じを受けます。
 昭和五十五年に修埋が行われて外部に弁柄塗りが施されました。
大本山 法華経寺 国歌に詠まれているさざれ石 大本山 法華経寺 国歌に詠まれているさざれ石 
大本山 法華経寺 国歌に詠まれているさざれ石 大本山 法華経寺 国歌に詠まれているさざれ石 

この石は学名を石灰質角礫岩と云う。石灰石が雨水に溶解してその石灰分をふくんだ水が時には粘着力の強い乳状体となって地下において小石を集結して次第に大きくなる。やがてそれが地上に出て国歌によまれている如く千代、八千代、年をへてさざれ石巌となりて苔のむすと云う景観、実に目出度い石である。
この石は国歌発祥の地と云われる岐阜県揖斐郡春日村の山中にあったもので、その集結の過程状態がこの石を一見してよく知ることが出来る。
大本山 法華経寺 大仏 大本山 法華経寺 大仏 
大本山 法華経寺 妙見堂 大本山 法華経寺 妙見堂 

祖師堂の左手にある。
大本山 法華経寺 重要文化財 祖師堂 大本山 法華経寺 重要文化財 祖師堂 
大本山 法華経寺 重要文化財 祖師堂 大本山 法華経寺 重要文化財 祖師堂 
大本山 法華経寺 刹堂 大本山 法華経寺 刹堂 

祖師堂の上の段に法華堂、四足門と同じ並びで建てられている。
大本山 法華経寺 重要文化財 法華堂 大本山 法華経寺 重要文化財 法華堂 

 法華堂は法華経寺の本堂で、釈迦・多宝両尊像を本尊としています。堂の創建は文永年間(十三世紀後半)に富木常忍が若宮の館に建立し、後にこの中山に移されたと伝えられ、銭四貫文で建てられたことから四貫堂とも呼ばれています。現在の法華堂は様式から室町時代後期に再建されたものと思われます。もとは祖師堂と同じ地盤に建っていましたが、江戸時代中期に行われた祖師堂の建替えに伴ってこの場所に移されました。
 法華堂は禅宗様を基調としながら和様を巧みに取り入れた形式で、日蓮宗仏堂としては最古に属する重要な遺構です。
大本山 法華経寺 重要文化財 法華堂 大本山 法華経寺 重要文化財 法華堂 
大本山 法華経寺 重要文化財 四足門 大本山 法華経寺 重要文化財 四足門 

 四足門はもと鎌倉の愛染堂にあったものをこの地に移したと伝えられています。法華経寺では、はじめ本院の玄関門としていましたが、明治になって法華堂前の現在の場所に移されました。建築年代は形式より室町時代後期と思われます。
 この門はほぼ純粋な禅宗様の様式で造られ、本柱を棟近くまで延ばし、この前後に控柱を立てて、これらを海老虹梁という湾曲した腰の強い梁で繋ぐ珍しい構造です。柱の断面はやや楕円形でこれも他に例のないものです。
 さらに彫刻類の装飾が多いことも特微のひとつで、それぞれ室町時代後期に多くみられる文様や形をよく現しています。これらの装飾は全て正面を意識して造られていることから、もとは側面の両側に塀を付属させた入口門であったと考えられます。また建具は和様の板唐戸を用いて様式的な変化を持たせています。柱、虹梁(梁の一種)など主要な部材には欅、その他の部分には檜・杉・桜などを用いています。
大本山 法華経寺 重要文化財 四足門 大本山 法華経寺 重要文化財 四足門 
大本山 法華経寺 荒行堂 大本山 法華経寺 荒行堂 
大本山 法華経寺 鬼子母大尊神堂 大本山 法華経寺 鬼子母大尊神堂 

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