西荻窪〜荻窪〜阿佐ヶ谷

【関連サイト】 JR 総武線(平成15年撮影)


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西荻北銀座商店街を北上 西荻北銀座商店街を北上 
善福寺川に架かる関根橋を渡る。 善福寺川に架かる関根橋を渡る。 
善福寺川に架かる関根橋を渡る。 善福寺川に架かる関根橋を渡る。 
西荻北五丁目交差点を越して、桃井四丁目交差点へ 西荻北五丁目交差点を越して、桃井四丁目交差点へ 

西荻北五丁目交差点を越した所にある桃井四丁目交差点で右折、青梅街道に出る。
桃井四丁目交差点で右折、青梅街道へ 桃井四丁目交差点で右折、青梅街道へ 
桃井四丁目交差点で右折、青梅街道へ 桃井四丁目交差点で右折、青梅街道へ 
青梅街道 桃井三丁目交差点 旧中島飛行機発動機発祥之地碑 青梅街道 桃井三丁目交差点 旧中島飛行機発動機発祥之地碑 
青梅街道 桃井三丁目交差点 旧中島飛行機発動機発祥之地碑 青梅街道 桃井三丁目交差点 旧中島飛行機発動機発祥之地碑 

零戦の三菱重工と並んで軍用機開発の拠点だった中島飛行機(戦後日産自動車などに解体)発祥之地碑とロケット発祥之地碑が、日産自動車販売会社の角にある。
青梅街道 桃井三丁目交差点 ロケット発祥之地碑 青梅街道 桃井三丁目交差点 ロケット発祥之地碑 

ペンシルロケットの模型がガラス箱に展示してある。

戦後間もない昭和28年、旧中島飛行機から社名を変えた富士精密工業は東京大学生産技術研突所(現、文部科学省宇宙科学研究所)の指導を受け、ロケットの開発に着手した。2年後の昭和30年にペンシルロケットの初フライトに成功し、これが日本のロケット第1号となった。
 爾来、約半世紀、富士精密工業は、プリンス自動車工業、日産自動車、アイ・エイチ・アイ・エアロスペースと変遷を重ねたが、ロケット技術は脈々と後進に受け継がれ、現在の日本の主力ロケットを生み出す原動力となった。 ロケット開発の拠点たる日産自動車荻窪事業所は平成10年5月に群馬県富岡市へ移転したが、跡地は再開発されることになった。
 この地の生み出した創造的意義に鑑み、ここに記念碑を建立し、往時を偲びつつ、宇宙開発の更なる発展を祈念するものである。
青梅街道 四面道交差点で環八を渡る 青梅街道 四面道交差点で環八を渡る 
青梅街道 四面道交差点で環八を渡る 青梅街道 四面道交差点で環八を渡る 
青梅街道 四面道交差点で環八を渡る 青梅街道 四面道交差点で環八を渡る 
青梅街道 杉並公会堂 青梅街道 杉並公会堂 
JR 総武線 荻窪駅 JR 総武線 荻窪駅 

青梅街道側にある北口で、土、日でも中央線快速が停まる駅にしては見栄えはしない。阿佐ヶ谷の方が立派である。南口は丸ノ内線の始発駅とも連絡しているが、もっと貧弱である。
青梅街道 天沼陸橋 青梅街道 天沼陸橋 

天沼陸橋は総武線を跨ぐ跨線橋である。
青梅街道 天沼陸橋交差点 青梅街道 天沼陸橋交差点 

荻窪駅の南口を出発点とする丸ノ内線は、この交差点で青梅街道と合流、その下を東進する。
青梅街道 杉並区役所前交差点で左折、中杉通りへ 青梅街道 杉並区役所前交差点で左折、中杉通りへ 
青梅街道 杉並区役所前交差点で左折、中杉通りへ 青梅街道 杉並区役所前交差点で左折、中杉通りへ 

交差点を渡った所に杉並区役所があり、その下に丸ノ内線の南阿佐ヶ谷駅がある。
ケヤキ並木の中杉通りを北上 ケヤキ並木の中杉通りを北上 
JR 総武線 阿佐ヶ谷駅 JR 総武線 阿佐ヶ谷駅 

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