両国駅〜両国国技館〜両国回向院
【関連サイト】 | JR 総武線(平成15年撮影) | |
歴史点描 江戸風景)回向院(両国、小塚原) 鈴ヶ森刑場遺跡 | ||
JR 両国駅前 国技館 総武線の高架の北側に出るとメモ前に国技館の屋根が見える。江戸東京博物館は東側の清澄通り沿いにあり、400mほど東側にあって結構遠い。 |
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JR 総武線 両国駅 総武線の高架の北側の風景で、一見改札口があるように見えるが、飲食店や土産物店があり、高架下に改札口がある。 |
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国技館通り 国技館 平成21年1月11日から25日に行われる大相撲1月場所(初場所)の案内看板が立てられている。 |
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国技館通り 国技館 | |
国技館通り ちゃんこ料理店 国技館通り沿いだけでなく、横道にもちゃんこ料理店がある。写真は巴潟であるが、他にも多くあり、値段も様々である。本場所中は相撲を見た後、ちゃんこ料理店に向かう団体客が狭い国技館取りを歩く姿が見られる。 |
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国技館通り 両国二丁目交差点で京葉道路を渡り、両国回向院へ 三叉路の交差点で、突き当りが両国回向院、左が旧国技館の両国シティコアである。 |
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京葉道路 両国二丁目交差点 旧国技館跡 旧国技館は、天保四年(一八三三)から回向院で相撲興行が始まったことから、明治四十二年(一九〇九)に、その境内に建設されました。建設費は二十八万円(現在の価値では七十五億円程度)です。 ドーム型屋根の洋風建築で、収容人数は一万二千人でした。開館当時は両国元町常設館という名前でしたが、翌年から国技館という呼び方が定着し、大鉄傘と愛称されました。 東京大空襲まで、三度の焼失があり、戦後は米軍に接収され、返還後は日大講堂などとして利用されていました。昭和五十八年(一九八三)に解体されました。 左手奥の両国シティコアビル中庭の円形は、当時の土俵の位置を示しています。 |
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京葉道路 両国二丁目交差点 両国シティコア(旧国技館) 70年安保世代としては、旧国技館と言うよりも、日大紛争の舞台だった日大講堂の方が馴染み深い。 |
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京葉道路 両国二丁目交差点 両国回向院 | |
京葉道路 両国二丁目交差点 両国回向院 国技館(大鉄傘)跡 相撲はもともと神事であり、礼儀作法が重んじらてきました。現代の大相撲は、江戸時代の勧進相撲を始まリとします。回向院境内にある「回向院相撲記」には、天保四年(一八三三)から国技館に開催場所が移されるまでの七十六年間、相撲興行本場所の地であった由来が記されています。 |
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京葉道路 両国二丁目交差点 両国回向院 明暦三年(一六五七)、江戸史上最悪の惨事となった明暦大火(俗に振袖火事)が起こり、犠牲者は十万人以上、その多くが身元不明、引取り手のない有様でした。そこで四代将軍家綱は、こうした遺体を葬るため、ここ本所両国の地に「無縁塚」を築き、その菩提を永代にわたり弔うように念仏堂が建立されました。 有縁・無縁、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くという理念のもと、「諸宗山無縁寺回向院」と名付けられ、後に安政大地震、関東大震災、東京大空襲など様々 な天災地変・人災による被災者、海難事故による溺死者、遊女、水子、刑死者、諸動物など、ありとあらゆる生命が埋葬供養されています。 |
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京葉道路 両国二丁目交差点 両国回向院 明暦三年(一六五七年)江戸大火(振袖火事)に依る死者十万八千余人を弔うために建立された。 安政大地震(一八五五年)の死者二万五千人余を初めとして、江戸府内の無縁仏、天災地変に因る死者も埋葬され、近くは大正十二年の関東大震災の死者十万余人の分骨も納骨堂に安置されている。 江戸時代の雰囲気を伝える史跡記念墓地がある。 |
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両国回向院 | |
両国回向院 相撲関係石碑群<力塚> 隅田区と相撲の関わりは、明和五年(一七六八)九月の回向院における初めての興業にさかのぼります。以後、畿つかの他の開催場所とともに相撲が行われていました。 天保四年(一八三三)一〇月からは、回向院境内の掛け小屋で相撲の定場所として、年に二度の興行が開かれ、賑わう人々の姿は版画にも残されています。 力塚は、昭和一一年に歴代相撲年寄の慰霊のために建立された石碑です。この時この場所に玉垣を巡らせ、大正五年(一九一六)に建てられた角力記と法界万霊塔もこの中に移動しました。 |
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両国回向院 相撲関係石碑群<力塚> | |
両国回向院 史跡記念墓地 通常の墓地の手前の一角に鼠小僧次郎吉の墓や海難供養碑群などの史跡記念墓地がある。 |
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両国回向院 鼠小僧次郎吉の墓 昔から鼠小僧次郎吉の墓を欠いてそのかけらを持つと博打に負けないとか、受験生の合格祈願に使われる。そのため、前に専用の石(前立石)を置き、それを欠くように、との案内が立っている。 |
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両国回向院 猫塚 猫の恩返し(猫塚) 猫をたいへんかわいがっていた魚屋が、病気で商売ができなくなり、生活が困窮してしまいます。すると猫が、どこからともなく二両のお金をくわえてき、魚屋を助けます。 ある日、猫は姿を消し戻ってきません。ある商家で、二両くわえて逃げようとしたところを見つかり、奉公人に殴り殺されたのです。それを知った魚屋は、商家の主人に事情を話したところ、主人も猫の恩に感銘を受け、魚屋とともにその遺体を回向院に葬りました。 |
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両国回向院 猫塚 | |
両国回向院 鼠小僧次郎吉の墓、猫塚 | |
両国回向院 正面が国技館通りで、門を出て右折、京葉道路を東進する。 |