両国 北斎通り〜錦糸町〜亀戸
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有名神社 亀戸天神 | ||
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清澄通り 江戸東京博前交差点で左折、北斎通りへ | |
北斎通りを東進 江戸東京博前交差点を曲がった所に葛飾北斎生誕の地碑がある。街灯が和風の行燈風で、それぞれに北斎の代表的な版画が街歩き「北斎ギャラリー」として飾られている。写真では富嶽三十六景の凱風快晴である。 |
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北斎通り 葛飾北斎生誕の地 江戸末期浮世絵師の巨匠の一人である北斎は、宝暦10年(1760)この本所南割下水の地に生まれ、幼少期を横網辺に過ごした。とりわけ富嶽三十六景、隅田川両岸一覧など、風景画に多くの傑作を残した。かってこの地が下総国葛飾であったことから「葛飾」を名乗った。 |
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北斎通り 葛飾北斎生誕の地 | |
北斎通り 野見宿禰神社 | |
北斎通り 野見宿禰神社 かつてこの東側に相撲の高砂部屋がありました。明治十八年(一八八五)に親方の高砂浦五郎が、津軽家上屋敷の跡地であったこの地に、相撲の神様として知られる野見宿禰を祀ったのが、この神社の始まりです。 石垣の石柱には、力士や相撲関係者の名前が刻まれており、本場所前には必ず、相撲協会の神事が行われます。 境内には、昭和二十七年(一九五三)に相撲協会によって建てられた歴代横綱石碑があり、その一基には、初代の明石志賀之助から四十六代朝潮太郎までの名が、もう一基には四十七柏戸剛以降の名前が刻まれています。 |
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北斎通りを東進 | |
北斎通り 亀沢四丁目交差点で右折、三ツ目通りへ | |
三ツ目通り 緑三丁目交差点で左折、京葉道路へ | |
京葉道路 江東橋 大横川親水河川公園 | |
京葉道路 江東橋 大横川親水河川公園 国道14号(京葉街道)は江戸時代庶民の信仰と行楽を兼ねた成田山新勝寺の参詣道として発達しました。成田参詣は江戸から二、三泊の手軽なコースで、平坦で水陸の変化があり、背後に芝山仁王尊や香取、鹿島の各社寺、潮来などの歓楽街を控え、街道は往来する人馬でにぎわいました。 明治時代に入り、浅草橋から両国橋を渡り小岩、市川を経由して向かう道を千葉街道と称するようになりました。これが現在の京葉道路です。 |
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京葉道路 江東橋 大横川親水河川公園 | |
京葉道路 江東橋 大横川親水河川公園 大横川親水河川公園は、下町に多い親水公園で、かつての河川跡を公園にしている。 |
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JR 総武線 錦糸町駅 | |
JR 総武線 錦糸町駅 | |
京葉道路 錦糸町駅前交差点で左折、四ツ目通りへ 写真の右から左に走る四ツ目通りの地下を東京メトロ半蔵門線が走る。 |
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四ツ目通り 錦糸公園 | |
四ツ目通り 錦糸町ショッピングモール オリナス ホームページによれば、オリナスとは錦糸町なので、「錦の糸が様々な模様を織り成す」からの造語である。日本橋COREDOがCORE(核)と、EDO(江戸)を組み合わせた造語であることを思い出した。 |
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四ツ目通り 錦糸町ショッピングモール オリナス | |
四ツ目通り 大平四丁目交差点で右折、蔵前橋通りへ オリナスの角を曲がって蔵前橋通りを歩く。四ツ目通りをそのまま進むと押上に至る。 |
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蔵前橋通り 横十間川に架かる天神橋を渡る | |
蔵前橋通り 亀戸天神 右の柱には七五三祝祭が、左には11月23日までの菊祭り開催が書かれている。撮影日は11月26日なので、いずれも過ぎて何もなかった。 |
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亀戸天神 亀戸天神のホームページには以下のように書かれている。初めて訪れた時に小粒だが、大宰府によく似ている、と思ったはずである。 寛文2年(1662)、太宰府天満宮より勧請、地形をはじめ社殿や楼門、太鼓橋など境内の結構をすべて太宰府の社にならって造営した。 |
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亀戸天神 | |
亀戸天神 江戸時代から学問の神様として信仰を集め、梅や藤の名所として庶民から親しまれてきました。 寛文2年(1662)九州太宰府天満宮の神職が、飛梅の木で菅原道真の像を作り、祀ったのか創建といわれています。 毎年1月24日、25日に「うそ替え神事」か行われ、前年のウソを納め、新しいウソを求めると「凶もウソとなり吉にトリ替わる」といわれており、檜の一刀彫のウソに人気かあり、たくさんの人々でにぎわっています。 |
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蔵前橋通り 亀戸四丁目交差点で左折、明治通りへ 明治通りと言うと渋谷から新宿、池袋を南北に走る道路をイメージするが、亀戸でも南北に走るので、環七や環八のように環状五号線であることを思い出した。 |
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JR 総武線 亀戸駅 |