【関連サイト】 | 彦根藩 井伊家菩提寺 豪徳寺 |
小田急 小田原線 梅ヶ丘駅 | |
小田急 小田原線 豪徳寺駅 豪徳寺駅は、東急世田谷線 山下駅と隣接している。徳川幕府譜代筆頭の彦根藩井伊家の菩提寺である豪徳寺は、世田谷線に沿って南下し、宮の坂駅の東側にある。豪徳寺駅からは徒歩15分位で、狭い道を歩いていく。 |
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豪徳寺商店街の幟 「祝 豪徳寺三重宝塔新築落慶」の文字に惹かれた。 |
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東急 世田谷線 | |
豪徳寺 山門 世田谷吉良氏が弘徳寺として創建したが、吉良氏滅亡時に焼失した。 井伊掃部守直孝がこの地を領した時、夕立にあい、猫が招いてこの寺に入った、との話から招き猫の伝説が出来たことでも有名。井伊家が再建し、直孝の法号に因み豪徳寺となった。 この寺には、桜田門の変で落命した井伊直弼の墓もあり、近くに吉田松陰の墓があって、ちょっとした安政の大獄番外編である。 |
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豪徳寺 三重宝塔 木造であるが、新しすぎて重みが感じられない。 |
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豪徳寺 井伊直弼墓 井伊直弼(一ハ一五〜六〇)は彦根藩主直中の子て兄を継ぎ藩主となり、ついで安政五年(一八五八)四月大老になる。勅許を待たず日米修好通商条約など安政五ヶ国条約に調印。また十三代将軍家定の後継者を慶福(のちの家茂)に決定し、反対派の一橋慶喜らを抑えるという強い政策を実施。さらに安政の大獄を断行するに及んで、常に暗殺の危険にさらされ、遂に安政七年三月、江戸城外桜田門外において、水戸・薩摩の浪士らに暗殺された。 |
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豪徳寺 井伊直弼墓 「宗観院殿正四位上前羽林中郎将柳暁覚翁大居士」と書いてある。 伊井家の他の墓は古くても読めるのに、何故か文字が磨り減ってよく見えない。 |
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豪徳寺 井伊家墓所 井伊家の歴代の藩主などの墓が並び、豪徳寺の南西の一角を占める。 |
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豪徳寺 本堂 | |
豪徳寺 招き猫 豪徳寺と言えば招き猫で、お守りと一緒に売られている。 浅草の今戸神社も招き猫発祥の地と称している。しかし、一般的には井伊直弼の夕立の故事で有名な豪徳寺を発祥の地とする。 |
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東急 世田谷線 | |
小田急 小田原線 経堂駅 | |
経堂駅から線路沿いに歩く。 線路の北側をしばらく歩くが、途中で南側の方が賑わい、道路も城山通りとなる。 |
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石仏公園 烏山川緑道の手前にある小公園である。 |
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烏山川緑道 | |
烏山川緑道 | |
小田急 小田原線 千歳船橋駅 | |
城山通りを西進 | |
砧2丁目交差点で環八を渡る。 | |
小田急 小田原線 祖師ヶ谷大蔵駅 |