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東武 東上線 ときわ台駅
【撮影記録】
平成23年 2月 25日 晴れのち快晴
10:30〜12:50 15,000歩(概算 11.2km 地図上の距離 10.9km)
東上線 ときわ台駅〜東武練馬駅〜和光市駅
営業距離 7.8km 駅数 5
20度を越す春の天気で、春一番が吹き、歩き始めてすぐにポロシャツ1枚となる天気だった。川越街道を軸に出たり入ったりを繰り返すコースなので、距離は増えるが歩きやすい。ポイントの交差点の名称がないのが残念である。 |
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ときわ台駅 北口 「誠の碑」
警視庁板橋警察署 宮本邦彦警部は、平成十九年二月六日、自らの命を賭して人命の救助にあたられました。
「誠の碑」は、宮本警部が警察学校の卒業アルバムに寄せた「誠実」「誠心」「誠意」という心根を具象化し、制作いたしました。碑の文字は、小山天舟日本書道美術館長の揮毫によるものです。
誠の火 燃やしつづけし 君がみ魂
受け継ぎゆかむ いつの世までも 天舟詠
記念碑設置に際し、数多くの方々より善意のご寄付を賜りました。
ここに感謝の意をこめて記します。 |
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ときわ台駅 北口 「誠の碑」 |
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ときわ台駅商店街 ときわ台銀座を南下 |
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ときわ台駅商店街 ときわ台銀座を南下
道路標識で左右が川越街道で、左に環状7号線があり、ときわ台銀座は右の突き当たりの道路である。 |
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突き当たりで右折、川越街道へ |
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川越街道 東新町交差点
川越街道を西北に進む。 |
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川越街道 五本けやき交差点で右折、上板南口銀座へ
交差点名はないが、道路の分離帯にけやきが立っている。交差点角には牛丼の松屋もある。 |
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川越街道 改正道路と五本けやき
昭和のはじめ、東京の郊外に都市化の波が広がっていったが、これにともない、都市計画道路工事も相次いで行われた。
新川越街道(現・国道二五四号)も、この一環として新設された道路の一つで、昭和二年に計画されており、このうち板橋区内の工事は九か所に分けられ、昭和八年から同十九年にかけてそれぞれ完成をみている。
当初、旧川越街道と区別することもあって改正道路と称していた時期があった。
さて、五本けやきは元上板橋村々長・飯島弥十郎家の屋敷林の一部であった。道路用地となった
ため、切り倒される予定であったが、同家の強い要望もあって工事はこの木を避け、昭和十三年〜翌十四年にかけ完成した。
武蔵野の面影を残す五本けやきは、ドライバーの疲れを癒すオアシス的存在であり、昭和四十五年には地元の有志によって五本けやき保存会も発足し、その保護に努めている。 |
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川越街道 改正道路と五本けやき |
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川越街道 五本けやき交差点で右折、上板南口銀座へ |
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上板南口銀座を北上 |
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東武 東上線 上板橋駅 |
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上板南口銀座 五本けやき交差点で右折、川越街道へ |
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川越街道 練馬北町陸橋交差点で環状8号線を渡る |
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川越街道 陸上自衛隊 練馬駐屯地
練馬駐屯地は、桜並木沿いに延々と続く。 |
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川越街道 練馬自衛隊前交差点で右折
交差点の左に練馬駐屯地の入口がある。 |
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突き当たりの北町観音堂脇の道を進む |
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東武練馬駅前 北町観音堂
北町観音堂 (石観音堂)
ここには、天和二年(一六八二)銘の「北町聖観音坐像」をはじめ馬頭観音や庚申塔など数多くの石造物があります。江戸周辺を探訪した小石川の僧が記した紀行文「遊歴雑記」にも、文化十二年(一八一五)にここを訪れた記述があり、往来の人々の信仰や赤塚村への分岐道の目印ともなっていたことが分かります。
「北町聖観音座像」
高さ二七〇センチメートル、区内最大の石仏。背には「武州河越多賀町隔夜浅草光岳宗智月參所 奉新造正観音為四恩報謝也 (時)天和二年八月…」、台座には川越街道沿いの二十九の地名が刻まれています。
「北町の仁王像」
向かって右、阿形像、左、吽形像。重厚な造りの像で、両像の背には「天和三年・:奉立之施主光缶宗智・・・」の銘があり、聖観音座像建立の翌年に建てられたことが分かります。 |
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東武練馬駅前 北町観音堂 「北町の仁王像」 |
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東武練馬駅前 北町観音堂 「北町聖観音座像」 |
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北町観音堂裏の道を進む
北町観音堂の右脇に小路があり、観音堂沿いに道なりに進む。 |
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東武 東上線 東武練馬駅 |