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池上本門寺(大堂(祖師堂)〜大坊本行寺〜實相寺)

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梅の花の香りと馬込の文士を訪ねて(H19−02−24)(池上本門寺)


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池上本門寺 大堂(祖師堂)、御水屋 池上本門寺 大堂(祖師堂)、御水屋 

仁王門をくぐると正面に大堂(祖師堂)があり、右に御水屋がある。
池上本門寺 鐘楼、霊宝殿 池上本門寺 鐘楼、霊宝殿 

鐘楼と霊宝殿の間に日樹聖人の五輪塔がある。
池上本門寺 日樹聖人の五輪塔 池上本門寺 日樹聖人の五輪塔 

この塔は本門寺山内最大の五輪石塔で、総高約四メートル、戦災による破損がいちじるしく、造立年記銘は見えないが、上から三段目の火輪斜面に「日樹(花押)」の署名が刻まれている。
 したがって、本塔は、日樹が不受不施事件で信州に流される寛永七年(一六三〇)より前の造立である。
 しかも、地輪をはじめ、塔の全面に数百名の奉加者の名を刻みつけてあることは、日樹とその信者層、ひいては江戸初期の池上本門寺外護者の実態と、不受不施史研究上、極めて有力な資料である。
池上本門寺 日樹聖人の五輪塔 池上本門寺 日樹聖人の五輪塔 
池上本門寺 大堂(祖師堂) 池上本門寺 大堂(祖師堂) 

日蓮聖人は弘安5年(1282)、身延山から病気療養のため常陸の湯に向かう途中、武蔵国池上 (現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲の館で亡くなった。その後池上宗仲が法華経の字数(69384字)に合わせて約7万坪の寺域を寄進したことから「池上本門寺」と呼びならわされている。多くの堂宇が戦災で焼失したが、戦後再建された本殿、大堂などの壮大な堂宇のほか、小堀遠州の作意と伝わる松涛園など、見どころも多い。
池上本門寺 霊寶殿 池上本門寺 霊寶殿 

霊寶殿(れいほうでん)は、本門寺の霊宝・寺宝を収蔵し、展示公開する建物です(展示品は毎月入れ替えています)。
正面入口の「霊寶殿」という文字は、日蓮聖人の御真跡から選んで拡大したものです。
池上本門寺 霊寶殿 池上本門寺 霊寶殿 
池上本門寺 経蔵 池上本門寺 経蔵 

大田区文化財 経蔵

 構造・形式は、方三間裳階付き、宝形造、銅板瓦棒葺、輪蔵形式。
 経蔵内部に、心柱を軸に回転する八角形の書架(輪蔵)があり、かつては一切経(区指定文化財)が収められていた。
 経蔵内部の柱等には、工事に関係した職人をはじめ、講名や氏名、住所等が刻まれ、経蔵建立時の寄進者が広範囲に及んだことがうかがえる。『新編武蔵風土記稿』によれば、天明四年(一七八四)に再建されたものと伝えられる。
 昭和四六年(一九七一)境内整備により現在地に移築されたが、江戸期の輪蔵形式の経蔵は都内でも残存例が少なく貴重である。
池上本門寺 奉安塔の由来、相輪 池上本門寺 奉安塔の由来、相輪 

経蔵の横にあり、相輪に惹かれて立ち寄った。

 當山は 昭和二十年(一九四五)四月十五日の空襲により、大堂をはじめ ほとんどの建物を焼失するという 未曽有の災厄を被りました。しかしながら 戦後ただちに復興事業に着手し、まず最初に 日蓮大聖人御尊像と御真骨を格護するための奉安塔が 一字一石写経による浄財勧募によって、昭和二十九年四月に建設されました。
  奉安塔は、防火・防災のため 鉄筋コンクリート造り鋼板葺きで、當初は 仮祖師堂の背後(現在の大堂内陣あたり)に位置しましたが、昭和三十七年に着工した大堂再建工事を機に、現在の霊寶殿所在地に移されました。
 昭和三十九年(一九六四)に大堂が完成した後、しばらくの間は御霊寶・納経塔などの役割を果たしてきましたが、日蓮大聖人立教開宗七五〇年記念慶讃事業「霊寶殿」建立のため平成十一年八月に解体されました。
 よって、ここに當山の復興に大きな役割を果たした奉安塔の由来とその姿を刻み 相輪を留めて、ご協賛いただいた檀信徒の徳行を讃えるものであります。
池上本門寺 奉安塔の由来、相輪 池上本門寺 奉安塔の由来、相輪 
池上本門寺 経蔵 池上本門寺 経蔵 
池上本門寺 休憩所 池上本門寺 休憩所 
池上本門寺 突き当りの客殿・寺務所前で左折 池上本門寺 突き当りの客殿・寺務所前で左折 
突き当りの階段(大坊坂)を下り、大坊本行寺へ 突き当りの階段(大坊坂)を下り、大坊本行寺へ 

客殿、寺務所前の道を歩き、突き当りの階段(大坊坂)を下る。
大坊坂 重要文化財 池上本門寺多宝塔 大坊坂 重要文化財 池上本門寺多宝塔 
大坊坂 重要文化財 池上本門寺多宝塔 大坊坂 重要文化財 池上本門寺多宝塔 
大坊坂 重要文化財 池上本門寺多宝塔 大坊坂 重要文化財 池上本門寺多宝塔 

 宗祖日蓮大聖人の御尊骸を荼毘に付した霊蹟に建つ供養塔。建立は宗祖五百五十遠忌を期して行われ、江戸芝口講中の本願により、文政十一年(一八二八)に上棟、同十三年(天保元年)に開堂供養を修している。石造の方形基壇に築いた円形
蓮華座の上に建つ木造宝塔形式の建物で、内外ともに漆や彩色によって華やかな装飾が施されている。塔内中央には金箔や彩色で装飾された華麗な木造宝塔を安置し、日蓮大聖人御所持の水晶念珠を奉安している。
 宝塔形式の木造塔婆は極めて現存例が少なく、当山多宝塔はその中でも最大規模を誇る本格的な宝塔として、極めて貴重な建物てある。
 なお、「多宝塔」の名称は建立当初から呼称されているのものであり、文化財としての名称は「池上本門寺宝塔」である。
大坊坂を下る 大坊坂を下る 

 『新編武蔵風土記稿』に「大坊坂方丈の右の坂なり、大坊へ行く道なればこの名あり」と記されている。本門寺山内西隅の石段坂で坂下に大坊と呼ばれる本行寺がある。
大坊坂を下る 大坊坂を下る 
重要文化財 池上本門寺多宝塔 重要文化財 池上本門寺多宝塔 

大坊坂下から少し入った所からも多宝塔が見られるが、説明板もなく、朱色の全体像をきれいに見るには大坊坂の中間からの方が優れている。
池上本門寺多宝塔前墓地 狩野探幽墓 池上本門寺多宝塔前墓地 狩野探幽墓 

 狩野探幽(一六〇ニ〜一六七四)は江戸前期の狩野派の画家です。狩野孝信の子で狩野永徳の孫にあたります。名は守徳、出家し探幽斉、白蓮子と号しました。京都に生まれ、慶長一七年(一六一二)に駿府で徳川家康に謁し、元和三年(一六一七)幕府御用絵師になり、同七年江戸鍛冶橋門外に屋敷を拝領します。江戸城、名古屋城、二条城や増上寺、大徳寺の大寺院建築のほか、御所の障壁画などを手がけました。
 狩野派は、室町叶代中期に、正信により始められ、明治時代に及ぶ日本絵画史上最大の流派といえます。室町暮府や江戸幕府の御用絵師を勤めました。探幽は狩野派中興の祖と
いわれ、桃山株式を継承するとともに、大和絵風の作風も残しました。山水、人物、花鳥など作成は幅広く、淡白端麗な画風を生み出しました。また、「探幽縮図」と称される古画模写も高く評価されています。
池上本門寺界隈 大坊本行寺 赤門(正門) 池上本門寺界隈 大坊本行寺 赤門(正門) 

本行寺の正面玄関です。門の手前右側の大坊坂は大本山池上本門寺や荼毘所に通じており、『新編武蔵風土記稿』には「大坊坂方丈の右の坂なり、大坊へ行く道なればこの名あり」との記述があります。
池上本門寺界隈 大坊本行寺 本堂、宝物殿 池上本門寺界隈 大坊本行寺 本堂、宝物殿 

右の三角屋根は宝物殿である。

本行寺が「由緒寺院」に顕彰された記念に建設されたもので、内には都重要文化財の法華経板木、宗門最古の板碑、先師の本尊、書状類等が奉安されています。
 池上本門寺界隈 大坊本行寺 本堂 池上本門寺界隈 大坊本行寺 本堂 

鎌倉幕府の作事奉行・池上右衛門大夫宗仲が大聖人ご入滅の後、寄進し寺を建立、「長崇山 本行寺」と称しました。その本堂は、昭和56年に大聖人七百遠忌記念事業として、大改築されました。
池上本門寺界隈 大坊本行寺 ご臨終の間 池上本門寺界隈 大坊本行寺 ご臨終の間 

東京都指定旧跡 日蓮上人入滅の旧跡

 日蓮上人(聖人)(一二二二〜一二八二)は、日蓮宗の開祖であり、「立正安国論」等の著作で知られています。日蓮は、文永一一年(一二七四)に鎌倉を去り、甲斐国身延山に宗教活動の場を移していましたが、弘安五年(一二八二)、病の悪化により常陸国へ湯治療養へ向かう途中、武蔵国千束郡池上右衛門大夫宗仲の館(現本行寺境内)で示寂しました。
 なお、病中の日蓮が、身延山を発って池上の地へ移ったのは、法華経を説いた釈尊が霊山から艮、すなわち北東の方角に当たる純陀の家で入滅した故事にならったとする説もあります。
池上本門寺界隈 大坊本行寺 ご臨終の間 池上本門寺界隈 大坊本行寺 ご臨終の間 
池上本門寺界隈 大坊本行寺 池上本門寺界隈 大坊本行寺 
池上本門寺界隈 大坊本行寺 門を出て右折 池上本門寺界隈 大坊本行寺 門を出て右折 
池上本門寺界隈 實相寺 池上本門寺界隈 實相寺 
池上本門寺界隈 實相寺 池上本門寺界隈 實相寺 

縁起

天文十九年(一五五〇)江戸馬喰町に開創。明暦三年(一六五七)明暦の大火の後、浅草新寺町に替地を拝領して移転。寛保三年(一七四三)に呉服商「大丸」の店主の帰依を受け大丸寺とよばれた。大正十二年(一九二三)池上の妙玄庵と合併して現在地に移り堂宇を建立。妙玄庵は本門寺二十四世日等聖人が隠棲した庵室で、享保十二年(一七二七)大坊坂のそばに創建され、妙玄坊、要玄坊ともよばれた。
池上本門寺界隈 實相寺 縁起 池上本門寺界隈 實相寺 縁起 



 
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