桜新町〜駒澤大学〜三軒茶屋

【関連サイト】 東急 田園都市線(平成15年)
東京散策 駒沢オリンピック公園


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旧大山街道(旧玉電線路) 玉電用賀駅跡の碑 旧大山街道(旧玉電線路) 玉電用賀駅跡の碑 

道の片隅にひっそりと建てられている。田園都市線(新玉川線)の用賀駅は、かなり瀬田方向に移動しており、名前は同じでも縁も所縁もない場所に設けらている。
旧大山街道(旧玉電線路) 用賀神社 旧大山街道(旧玉電線路) 用賀神社 

道の右手に見え、結構大きいが、由緒書きなどは無い。
旧大山街道(旧玉電線路) 用賀神社 旧大山街道(旧玉電線路) 用賀神社 
旧大山街道(旧玉電線路) 用賀神社 旧大山街道(旧玉電線路) 用賀神社 

前面には戦捷記念碑、書柴五郎中将と書かれているが、背面は摩耗がひどく、大正九年建立しか読めない。年代的には日露戦争の戦勝記念碑と思われる。柴五郎中将(後に大将)は、中佐時代に義和団の乱での籠城軍の指揮官として有名である。
旧大山街道(旧玉電線路) 桜新町駅界隈 旧大山街道(旧玉電線路) 桜新町駅界隈 

旧大山街道を歩いてくると、唐突に桜並木とサザエさん一家の幟が出てくる。商店街の境界を越えたためである。
旧大山街道(旧玉電線路) 桜新町駅界隈 旧大山街道(旧玉電線路) 桜新町駅界隈 

35年ほど前まで近くに住んでいたが、「桜」は近くを流れる呑川の並木が有名だったが、玉電沿いにはなかった。木もまだ若くて細い。長谷川町子の家があることも知られていたが、それがどうした、と言う雰囲気だった。
旧大山街道(旧玉電線路) 桜新町交差点で右折、サザエさん通りへ 旧大山街道(旧玉電線路) 桜新町交差点で右折、サザエさん通りへ 
旧大山街道(旧玉電線路) 桜新町交差点で右折、サザエさん通りへ 旧大山街道(旧玉電線路) 桜新町交差点で右折、サザエさん通りへ 
桜新町 サザエさん通りを南下 桜新町 サザエさん通りを南下 

サザエさん通りと言っても、幟など全くなく、ありふれた商店街で、旧大山街道との温度差が激しい。
桜新町 サザエさん通り 桜新町交番前交差点で右折 桜新町 サザエさん通り 桜新町交番前交差点で右折 

三叉路の交差点で、どちらを歩いても少し行けば玉川通りに出る。
桜新町 サザエさん通り 長谷川町子美術館 桜新町 サザエさん通り 長谷川町子美術館 

交番前交差点を過ぎてすぐにあるが、入口は南側にある。
桜新町 サザエさん通りを北上して戻る 桜新町 サザエさん通りを北上して戻る 

ありふれた昔ながらの商店街と、サザエさん通りの名前との格差に失望感が漂う。
サザエさん通り 桜新町交差点で右折、旧大山街道(旧玉電線路)へ サザエさん通り 桜新町交差点で右折、旧大山街道(旧玉電線路)へ 
東急 田園都市線 桜新町駅 東急 田園都市線 桜新町駅 
旧大山街道(旧玉電線路) 桜新町駅界隈案内図 旧大山街道(旧玉電線路) 桜新町駅界隈案内図 
旧大山街道(旧玉電線路) 新町一丁目交差点で玉川通りと合流 旧大山街道(旧玉電線路) 新町一丁目交差点で玉川通りと合流 

東名高速は玉川通りの上を高架として走る。
玉川通り 駒沢交差点で右折、駒沢公園通りへ 玉川通り 駒沢交差点で右折、駒沢公園通りへ 
駒沢公園通りを南下 駒沢公園通りを南下 
駒沢公園通り 駒澤大学 駒沢公園通り 駒澤大学 
駒沢公園通り 駒澤大学 駒沢公園通り 駒澤大学 

駒澤大学は曹洞宗の仏教大学として長い歴史を持つが、最近は駅伝の駒大の方が有名である。駒沢オリンピック公園に隣接しており、公園の掲示板に不法駐車、駐輪には駒大生の場合は懲戒処分を行う、と明示されている。
駒沢公園通り 駒沢オリンピック公園 駒沢公園通り 駒沢オリンピック公園 

東京オリンピックの代々木に次ぐ第二運動場として整備された公園で、玉川通り(北)、駒沢公園通り(西)、駒沢通り(南)、自由通り(東)に囲まれた広大な公園である。

駒沢オリンピック公園は次のページにまとめた。
駒沢オリンピック公園 左折して自由通りへ 駒沢オリンピック公園 左折して自由通りへ 

公園の東側にある自由通りに出て、玉川通りに戻る。自由通りを右折すると、自由が丘を経て奥沢に至る。
自由通り 駒沢大学駅前交差点で右折、玉川通りへ 自由通り 駒沢大学駅前交差点で右折、玉川通りへ 
東急 田園都市線 駒沢大学駅 東急 田園都市線 駒沢大学駅 

旧玉電の時は上馬駅と言い、駒沢駅は駒沢公園通りの駒沢交差点にあった。東急は当初上馬駅とする予定だったが、駒澤大学の激しい抗議により、場所は大分離れているが、駒沢大学駅となった経緯がある。
当時70年安保で世情が騒然としているなか、駅名変更のデモを行う駒大生の写真を大きく掲げ、「何でもデモです、学生さん」と朝日新聞に揶揄されて話題になった。世情に疎いというか、世間離れして、自分のことしか関心がない行動に苦笑する人も多かった。
玉川通り 上馬交差点で環七を渡る 玉川通り 上馬交差点で環七を渡る 
玉川通り 世田谷警察署前交差点を渡る 玉川通り 世田谷警察署前交差点を渡る 

左に世田谷郵便局があり、警察署は左折した所にある。
玉川通り 三軒茶屋交差点 玉川通り 三軒茶屋交差点 

玉川通りは右折し、左折すると世田谷通りとなる。
東急 田園都市線 三軒茶屋駅 東急 田園都市線 三軒茶屋駅 

三軒茶屋交差点に三軒茶屋駅がある。
玉川通り 三軒茶屋交差点 大山道 道標 玉川通り 三軒茶屋交差点 大山道 道標 
玉川通り 三軒茶屋交差点 大山道 道標 玉川通り 三軒茶屋交差点 大山道 道標 

(左側面)右富士(世田谷・登戸)道
(右側面)此方 二子通

年代
寛延二年(一七四九)、文化九年(一八ーニ)再建

伝来
大山道は、矢倉沢往還の俗称である。この道標は、旧大山道(代官屋敷前経由)と、文化・文政期ごろに開通したといわれる新大山道(桜新町経由)との分れ道にあった石橋楼(三軒茶屋の地名の起こりの茶屋の一つ)の角に建てられていた。
大山は、古い民俗信仰である石尊信仰と山岳仏教の信仰とが結合し、相模の修験道場として重きをなし、将軍をはじめ多くの人々に尊崇された。とくに文化文政期以降は江戸町人などの大山詣りが盛んになり、その案内のため大山道沿道に多くの道標が建てられた。
この道標は、玉川電車の開通や、東京オリンピックの道路の拡幅などにより点々と移されたが、昭和五十八年五月に三軒茶屋町会結成五十周年記念事業の一つとして、元の位置近くに復された。

備考
この道標は、本来は渋谷方面に向いて建てられていた。
相州通・ニ子通は、ほぼ現在の玉川通りである。
富士・世田谷道・登戸道はほぼ現在の世田谷通りである。
世田谷通り 三軒茶屋交差点 キャロットタワー 世田谷通り 三軒茶屋交差点 キャロットタワー 

キャロットタワーの1階に東急世田谷線の三軒茶屋駅がある。世田谷線は旧玉電の支線だったが、旧玉電の廃止により独立した。旧玉電は路面電車で、自動車の走行の障害になっていたが、世田谷線は都電荒川線同様、専用の敷地内の線路を走る。

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