等々力渓谷公園
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等々力渓谷 案内図 現在地は右下角で、等々力駅から商店街の用賀中町通りを進んだ所で、川上に当たる。 等々力渓谷 多摩川の支流、谷沢川の浸食によって形づくられたもので、都内に数少ない渓谷の一つです。 谷間は木々に囲まれ昼なお暗く、四季のうつろいの中に都内とは思われない静けさを残しています。 途中には、八世紀頃のものと思われる横穴古墳があります。 等々力不動尊 等々力渓谷を川下に歩いて行くと、滝の音がとどろいてきます。いくつかある等々力の地名の由来である「不動の滝」です。 等々力不動の本尊の不動明王は、役の行者の作と言われ、色々な願いごとにご利益があると言われています。 境内からの滝の眺めは、区内でも有数の名所として知られています。 |
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等々力渓谷 遊歩道入口 左の階段を下りて渓谷に向かう。左手にはゴルフ橋がある。 |
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等々力渓谷 遊歩道入口 等々力渓谷公園の由来 等々力渓谷は、武蔵野台地の両側に位置する延長約1kmの峡谷です。谷沢川が多摩川と合流する手前で、国分寺崖線を侵食してできました。「等々力の地名は、渓谷内にある「不動の滝」の音が響き渡り「轟いた」ことからついた、との言い伝えがあります。 昭和8年(1933年)、国は等々力渓谷を風致地区として指定しました。世田谷区は、昭和49年(1974年)に渓谷の河川と、 斜面地の一部を風致公園として開園しました。 |
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等々力渓谷 遊歩道入口 等々力渓谷 等々力渓谷は、国分寺崖線(ハケ)の最南端に位置する約一キロメートルの都区内唯一の渓谷である。谷沢川が国分寺崖線に切れ込んで侵食したもので、台地と谷との標高差は約10メートルある。渓谷の斜面には、武蔵野の代表的な樹木であるケヤキを始め、シラカシ、コナラ、ヤマザクラ、イロハカエデなどとともに、常緑シダ類のような湿地性植物が繁茂しており、渓谷内には至るところから湧水の出現が認められる。 玉川全円耕地整理組合が、昭和5年から13年にかけて谷沢川の道路を整備し、小径を設けるまでは、不動の滝からゴルフ橋にいたる渓谷内は殆ど人の立ち入ることも稀で、雉などの鳥類や、イタチ、キツネなどの小獣類、各種昆虫類の宝庫となった。 都区内とは思えないほどの鬱蒼とした樹林と渓谷美は、幽邃な景観を呈し、武蔵野の面影をよく残している。東京を代表する自然地理的名勝として貴重であり、植生学、地質学及び地形学上重要である。 |
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等々力渓谷 遊歩道入口 遊歩道に下りると、上流側は歩くことが出来ない。 |
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等々力渓谷 遊歩道入口 現在地は左端で、ゴルフ橋の下である。 |
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等々力渓谷 | |
等々力渓谷 玉沢橋下を歩く 玉沢橋は環八通りに架かる橋である。等々力不動尊まで300m、多摩川まで850mの案内が出来ていた。 |
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等々力渓谷 | |
等々力渓谷 この階段を上ると野毛大塚古墳である。 |
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等々力渓谷 等々カ渓谷、武蔵野台地の南端に位置する延長約1kmの渓谷です。谷沢川が多摩川と合流する手前で、多摩川が形成した河岸段丘、いわゆる国分寺崖線の侵食によってできた、東京都区内でもめずらしい渓谷として知られています。 『等々力』の地名は、渓谷内の『不動の滝』の音が響き渡り『轟いた』ところからついた、との言い伝えがあります。滝の上部には、平安時代に役の行者の霊場とされた等々力不動尊があり、かつてはこの滝にうたれて行をする修行憎が各地から訪れたといいます。 渓谷内には、『等々力渓谷第3号横穴古墳』があります。これは谷沢川の東斜面の崖に群集している横穴のひとつで、古墳時代末期から奈良時代のものと推定されています。 この渓谷は、昭和8年(1933年)、国から風致公園として指定されました。世田谷区では、昭和49年(1974年)に渓谷の河川と斜面地の一部を風致公園として開園しました。 等々力渓谷では、四季折々の多くの植物や生物を見ることができ、都会とは思えないような自然に触れることができます。 |
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等々力渓谷 都史跡 等々力渓谷3号横穴 等々力渓谷の周辺では野毛大塚(玉川野毛町公園内)、御岳山、狐塚などの古墳群が造られた後、古墳時代末から奈良時代(7〜8世紀)にかけて横穴群が造られるようになります。 等々力渓谷横穴群は野毛地域の有力な農民の墓で、これまでに3基の横穴が調査され、現在は3号横穴が完全な形で残っています。 横穴は谷間の崖地に横に穴を掘って造られていて、玄室と羨道で構成されています。泥岩の切石でふさがれた玄室の床には河原石が敷かれ、3体の人骨とともに1対の耳環(イヤリング)と土器が副葬されていました。その前面には斜面を切り通して造られた墓道が延びています。ここには土器が供えられたり、火を焚いた跡があり、墓前祭が行われたことがわかります。 |
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等々力渓谷 都史跡 等々力渓谷3号横穴 | |
等々力渓谷 | |
等々力渓谷 等々力不動尊境内案内標 | |
等々力渓谷 稚児大師御影堂 | |
等々力渓谷 稚児大師御影堂 昭和50年に、弘法大師誕生1200年記念で造られた像である。 |
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等々力渓谷 稚児大師御影堂 | |
等々力渓谷 不動の滝 | |
等々力渓谷 不動の滝 崖の上に不動明王が飾られ、2体の龍頭から滝が流れ落ちているが、冬のせいか流れ落ちる水は細々としており、滝音は聞こえるが、轟き渡ってはいない。 |
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等々力渓谷 不動の滝 稚児大師もそうだが、墨書きの看板はかすれてよく読めない。 飛び飛びで読むと今までに並べられていた案内板の内容と大差ない。 |
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等々力渓谷 等々力不動尊から不動の滝までの階段である。 |
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等々力渓谷 等々力不動尊 満願寺別院等々力不動尊(公式HP記載) 紀州の根来寺を開いた興教大師が日頃信心する役の行者御作の不動明王から関東に霊地があると夢に告げられ、夢に見たのと全く同じ霊地を発見。 奉持した不動尊を安置したのが等々力不動尊。 利釼の瀧と言はれる雄瀧雌瀧は、興教大師が錫杖をふるった霊泉である。 山号は瀧轟山、院号は明王院。 山門は満願寺の旧山門 翼殿を持つ御本堂を正面に、右に客殿、左に懸崖づくりの舞台。 境内は五千坪。起伏に富み春は桜、秋は紅葉の名所で、石楠花と紫陽花と四季に美しい。 |
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等々力渓谷 等々力不動尊 山門 |