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世田谷ボロ市散策H260116

【関連サイト】   世田谷線H2008
世田谷線H2006(世田谷代官屋敷跡)


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世田谷駅から世田谷通りに向かう人々 世田谷駅から世田谷通りに向かう人々 

世田谷駅から工事中の広い道路を歩いて世田谷通りを渡る交差点まで150mほどである。この短い区間に多くの飲食物の露店が並び、見物客がノロノロと歩いていく。
世田谷駅から世田谷通りに向かう人々 世田谷駅から世田谷通りに向かう人々 

時刻は12時前で、本格的な食事ではなく、軽く一杯気分でビールや熱燗のツマミを買う人が多い。ツマミの種類は豊富であり、これから下高井戸まで歩くのでなければ、と思わざるをえない。
世田谷通りを渡り、ボロ市会場に入る 世田谷通りを渡り、ボロ市会場に入る 

色々な露店が並び、それを見る人や買う人がアチコチで流れを止めるため、歩くというより人の波に運ばれていく、という感覚である。
平成26年 新春のボロ市 見物客で賑わう会場 平成26年 新春のボロ市 見物客で賑わう会場 

子供の頃のボロ市といえば正月用品や雑貨類が中心で、まさしく「ボロ」市だった。古着屋がアチコチで店を広げており、時代の変化を感じさせる。
平成26年 新春のボロ市 見物客で賑わう会場 平成26年 新春のボロ市 見物客で賑わう会場 
平成26年 新春のボロ市 見物客で賑わう会場 平成26年 新春のボロ市 見物客で賑わう会場 
平成26年 新春のボロ市 世田谷中央病院交差点で右折、ボロ市通りへ 平成26年 新春のボロ市 世田谷中央病院交差点で右折、ボロ市通りへ 

角に世田谷中央病院がある。ここからがボロ市のメインストリートのボロ市通りで、世田谷代官屋敷跡などがある。
平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 見物客で賑わう会場 平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 見物客で賑わう会場 
平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 見物客で賑わう会場 平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 見物客で賑わう会場 
平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 見物客で賑わう会場 平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 見物客で賑わう会場 
平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 見物客で賑わう会場 平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 見物客で賑わう会場 

小さな神棚が売られているが、このようなものが昔は中心だった気がする。
平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 見物客で賑わう会場 平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 見物客で賑わう会場 

古着の浴衣類が全品1,000円で、品選びをする人が結構いる。
平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 見物客で賑わう会場 平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 見物客で賑わう会場 

ボロ市名物と称する土産物が売られている。名物ボロ市まんじゅう、名物代官所餅、玉電羊羹などである。写真の玉電羊羹は型押された3両編成の路面電車である。

ちなみに玉電は渋谷と二子玉川を結ぶ路面電車で、昭和44年に廃止され1両か2両編成の電車だった。従ってボロ市とは無縁である。
平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 世田谷代官屋敷跡 平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 世田谷代官屋敷跡 

重要文化財 大場家住宅

 この住宅は、大場家7代六兵衛盛政が元文2年(1737)と宝暦3年(1753)の2度にわたる工事によって完成したものであります。
大場家は、元文4年(1739)から幕末まで彦根藩の代官職を世襲したので、その役宅としても使用されていました。
 江戸中期上層民家の遺構をよく保存する建物として、主屋及び表門の2棟が、昭和53年1月21日国の重要文化財に指定されました。
平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 世田谷代官屋敷跡 平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 世田谷代官屋敷跡 
平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 世田谷代官屋敷跡 表門 平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 世田谷代官屋敷跡 表門 

江戸時代の初め、大場氏は彦根井伊家領世田谷(二千三百石余)の代官職を務め、明治維新に至るまで世襲した。
 この屋敷は江戸中期の建築であるが、母屋は約七十坪(約二三一・四平方メートル)、萱葺き、寄棟造りで、萱葺きの表門とともに、旧時の遺構をとどめ関東地方における代官屋敷としての規模をよく保存している。
平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 世田谷代官屋敷跡 平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 世田谷代官屋敷跡 

世田谷のボロ市

 世田谷のボロ市は、天正六年(一五七八)に小田原城主北条氏政が世田谷新宿に宛てて発した『楽市掟書』に起源を持つとされる。掟書によると、この楽市は一と六の日の、一ヶ月に六日開かれる六斎市であった。しかし江戸時代になると江戸商業圏の拡大により、市は年に一回、十二月十五日の歳の市となった。市で売買された品は多彩で、歳の市といっても単に正月を迎える準備のためだけではなく、一年を通して必要とする様々な品物をそろえる場であり、生活や農業生産の上で欠かせない市であった。              この市は、明治六年(一八七三)の太陽暦の採用によって、翌七年から旧暦の歳の市に相当する一月十五日にも開かれるようになり、また明治中期には十六日も開催の定例となった。市の名称は、正式には「市町」といったが、明治中期頃から「ボロ市」が一般的となった。これは草鞋の補強や野良着を繕うためのぼろや、古着などか市商品の大半を占めるようになったからである。
 ボロ市は四○○年以上にわたり、それぞれの時代に対応し、様々な変化をしながらも、ほぼ同じ場所で継続して開かれてきた。戦後は急激な都市化と生活の変化によって扱われる商品も変わり、ボロ市も農村の生活市ではなくなってしまった。しかし、今でもボロ市は、数少なくなった正月を迎える節気意識を伝える行事として、多くの人々に親しまれている。
平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 世田谷代官屋敷跡 平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 世田谷代官屋敷跡 

代官屋敷についての説明が書かれているが、逆光で全く読むことも、写真を撮ることもできない。
平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 世田谷代官屋敷跡 主屋、捕り物道具 平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 世田谷代官屋敷跡 主屋、捕り物道具 

時代劇でお馴染みの道具類で、右から突棒、刺股、袖搦みである。
平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 世田谷代官屋敷跡 白州跡 平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 世田谷代官屋敷跡 白州跡 
平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 世田谷代官屋敷跡 世田谷区立郷土資料館 平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 世田谷代官屋敷跡 世田谷区立郷土資料館 
平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 世田谷代官屋敷跡 主屋 平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 世田谷代官屋敷跡 主屋 
平成26年 新春のボロ市 世田谷代官屋敷跡 東北復興支援物産展 平成26年 新春のボロ市 世田谷代官屋敷跡 東北復興支援物産展 
平成26年 新春のボロ市 世田谷代官屋敷跡 東北復興支援物産展 平成26年 新春のボロ市 世田谷代官屋敷跡 東北復興支援物産展 
平成26年 新春のボロ市 世田谷中央病院交差点で右折、ボロ市通りへ 平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 見物客で賑わう会場 
平成26年 新春のボロ市 世田谷中央病院交差点で右折、ボロ市通りへ 平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 見物客で賑わう会場 
平成26年 新春のボロ市 世田谷中央病院交差点で右折、ボロ市通りへ 平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 見物客で賑わう会場 
平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 上町駅行きの案内幕 平成26年 新春のボロ市 ボロ市通り 上町駅行きの案内幕 
平成26年 新春のボロ市 見物客で賑わう会場 平成26年 新春のボロ市 見物客で賑わう会場 



 
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