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世田谷線 + 世田谷ボロ市H260116
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地図上の歩行距離 7.6km(システムの機能上、実際のルートと違う場所があります)
Nkm/Mkm N:区間距離、M:起点からの累積距離
経路 A:三軒茶屋駅〜世田谷通り〜B:若林駅(1.7km)〜世田谷通り〜C:松陰神社(1.5km/3.2km)〜
世田谷通り〜ボロ市〜D:上町駅(1.3km/4.5km)〜豪徳寺〜E:山下駅(1.4km/5.9km)〜
線路沿い道路〜F:下高井戸駅(1.7km/7.6km)
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三軒茶屋駅〜若林駅〜松陰神社
キャロットタワー1階にある世田谷線の始発の三軒茶屋駅から、江戸五色不動の目青不動尊(教学院)に寄った後に世田谷通りへ出て西進する。太子堂四丁目交差点で右折、住宅街の細い道を北上し突き当りで左折、ホームに沿って進むと西太子堂駅である。世田谷通りに戻り、若林交差点で右折して環七通りを北上、若林踏切交差点で左折すると若林駅に着く。世田谷通りを西進、松陰神社入口交差点で右折して松陰神社通りの商店街を北上、松陰神社前駅を過ぎてさらに進む。
松陰神社通りの左手に整備された神社の参道が見える。5年半前の前回に来た時には御影石製の鳥居だったが、平成23年10月に鉄製の大鳥居となり、参集殿、駐車場ができていた。参道を北上、神楽殿、吉田松陰先生像と過ぎて御社殿に着き、萩の松下村塾を模した社殿右脇の松下村塾を見物する。境内に立ち並ぶ32基の石灯籠は、毛利元昭公をはじめ伊藤博文、山県有朋などの縁故者より明治41年(1908)に奉献された。吉田松陰先生他烈士墓所には松陰先生墓の周りに小林民部、頼三樹三郎などの墓が並ぶ。
世田谷駅〜ボロ市〜世田谷城阯公園
松陰神社通りを南下、松陰神社前駅を通り世田谷通りに出て西進、世田谷駅前交差点で右折して世田谷駅に着く。
世田谷駅から工事中の広い道路を歩いて世田谷通りを渡る。交差点まで150mほどの短い区間に多くの飲食物の露店が並び、見物客がノロノロと歩いていく。世田谷通りを渡り、ボロ市会場に入るが、子供の頃のボロ市といえば正月用品や雑貨類が中心で、まさしく「ボロ」市だった。古着屋がアチコチで店を広げており、時代の変化を感じさせる。大混雑の会場の人波に押されつつ歩き、世田谷中央病院交差点で右折、メインストリートのボロ市通りへ進む。ボロ市通りには大場家が幕末まで彦根藩の代官職を世襲した世田谷代官屋敷跡などがある。揉みくちゃにされながらボロ市通りを西進、上町駅行きの案内幕に従って右折する。
ボロ市会場から世田谷通りを渡り、上町駅へ向い、駅横から城山通りを北上して世田谷城阯公園交差点で左折、世田谷城を見物する。世田谷城は世田谷吉良氏の居城で、豊臣秀吉の小田原攻めで廃城となったが、小さな丘で一目で濠の跡、と思える地形である。
名刹 豪徳寺〜山下駅〜下高井戸駅
城山通りから豪徳寺の長い松並木の参道を歩いて総門を抜けると正面に仏殿があり、手前左に三重塔、右に鐘楼、梵鐘、裏に本堂がある。仏殿から井伊家墓所がある左に進み、招き猫付きの絵馬や各層の破風に招き猫付きの三重塔を見つつ招福殿(招き猫)に入る。招福殿の左脇には破魔矢のお焚き上げのように古い招き猫ではなく、純白の人形が整然と並べられている。彦根藩主井伊家墓所には江戸で亡くなった藩主や家族が葬られ、正面に2代井伊直孝墓、左奥に13代井伊直弼墓がある。、
城山通りを歩いて宮の坂駅のすぐ先の世田谷八幡宮に立ち寄る。世田谷八幡宮は後三年の役で帰国途次の源義家が宇佐八幡宮を勧請したと言われ、力石や奉納相撲の土俵がある。都道427号(瀬田貫井線)を世田谷八幡宮の東沿いに進み、北上豪徳寺商店街を北上して小田急豪徳寺駅の高架下を抜けて左折すると山下駅である。世田谷線の線路沿いに北上、松原駅を経て終点の下高井戸駅に至る。
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