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有栖川宮記念公園 広尾門 |
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有栖川宮記念公園 広尾門 |
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有栖川宮記念公園 |
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有栖川宮記念公園
この地は江戸時代旧盛岡藩主南部美濃守の下屋敷でありましたが、明治29年有栖川宮御用地となり、更に大正2年 高松宮御用地となりました。その後児童の自然教育および健簒に格別の関心をもたれた高松宮殿下が昭和9年故有栖川宮威仁親王の御命日にちなんで御用地を公園地として賜与され、当時の東京市は直ちに工事を進め、同年有栖川宮記念公園と命名し開園したものです。; |
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有栖川宮記念公園 |
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有栖川宮公園 |
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有栖川宮公園 |
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有栖川宮公園 |
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有栖川宮公園 |
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有栖川宮公園 |
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有栖川宮記念公園 有栖川宮熾仁親王銅像
有栖川宮熾仁親王は、14代将軍将軍徳川家茂と結婚した皇女和宮の婚約者として有名で、後に東征軍大総督として江戸に攻め上った。 |
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有栖川宮熾仁(たるひと)親王の銅像 |
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有栖川宮記念公園
公園の来歴が書かれている。 |
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有栖川宮記念公園 |
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有栖川宮記念公園
公園の西側(テレ朝通り)沿いを歩き、六本木ヒルズに向う。 |
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有栖川宮記念公園 |
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有栖川宮記念公園 |
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テレ朝通り 愛育病院
テレ朝通り沿いで、有栖川宮記念公園の北側にあり、平成18年9月6日に秋篠宮家の長男である悠仁親王(ひさひとしんのう)が生まれた病院でもある。 |
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テレ朝通り 愛育病院 |
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有栖川宮記念公園
旧盛岡藩南部家の下屋敷で、明治に入り有栖川宮家御料地となった。同家が途絶えたため高松宮家のものとなったが、昭和9年(1934年)に有栖川宮威仁親王の20周忌に公園用地として賜与された。 |
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有栖川宮記念公園前から見た六本木ヒルズ |
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有栖川宮記念公園から見た元麻布ヒルズ |
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有栖川宮記念公園から見た六本木ヒルズ |
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有栖川宮記念公園
後方にある東京中央図書館も公園内に設置されている。門を出て左に行くと六本木ヒルズに、右に出て直進すると新坂を降りて明治通りの四の橋近くに出る。白金に行くため、右に出てすぐ右折、公園の南側に沿って広尾橋に戻る。 |
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有栖川宮記念公園
公園の南側の南部坂を経て広尾橋に戻る。 |
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有栖川宮記念公園 南部坂
有栖川宮公園は元々赤坂から移った南部家下屋敷であったことから名付けられた。ちなみに忠臣蔵の南部坂は赤坂の方である。南部坂に浅野内匠頭長矩夫人瑶泉院が住んでおり、討ち入り前に大石内蔵助が訪れたことで有名。 |
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有栖川宮記念公園 南部坂 |