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猿江恩賜公園 南側地区
四ツ目通りを北上し、小名木川橋を渡り、二つ目の交差点を右折すると猿江恩賜公園の南側地区の入り口となる。 |
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猿江恩賜公園 南側地区
ここは、かつて猿江貯木場といって、材木を水に浮かべて貯めておくための場所でした。享保18年(1733)頃、幕府の材木蔵として造られた後、明治政府に引き継がれ、皇室の御用材の貯木場となりました。
大正13年(1924年)にその敷地の一部(南側地区)が東京市に払い下げられ、昭和7年(1932年)、猿江恩賜公園として開園されました。 |
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猿江恩賜公園 南側地区 |
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猿江恩賜公園 南側地区 |
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猿江恩賜公園 南側地区 |
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猿江恩賜公園 南側地区 |
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猿江恩賜公園 南側地区 |
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猿江恩賜公園 南側地区 |
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猿江恩賜公園 南側地区 |
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猿江恩賜公園 南側地区 |
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新大橋通りを渡り、北側地区へ |
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猿江恩賜公園 北側地区
ここは、江戸時代、幕府直轄の貯木場であったところで明治時代になって新政府が引き継ぎ、宮内省の御用貯木場となりました。大正13年昭和天皇御成婚記念として東京市に払い下げられた用地と旧猿江貯木場跡地を公園として整備したものです。
園内には、照明付野球場、全天侯型庭球場や江戸幕府材木蔵の由来を記した石柱などがあります。時計台、やたい椰子、桜などが色を添え、区民の憩いの広場となっています。 |
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猿江恩賜公園 北側地区 |
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猿江恩賜公園 北側地区 |
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猿江恩賜公園 北側地区 |
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猿江恩賜公園 北側地区
木立は多いが、特徴のない公園である。 |
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猿江恩賜公園 北側地区
遠くから見たり、写真にすると立派な時計塔だが、近くで見るとあちこちペンキが剥げている。 |
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猿江恩賜公園 北側地区 |