山手本通り〜元町公園〜横浜外人墓地

【関連サイト】 横浜磯子〜山手〜桜木町散策(H16−05−22)


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左折して山手本通りを歩く 左折して山手本通りを歩く 

山手本通りは山の尾根伝いに走る道路で、右折すると日の出町交差点から伊勢佐木町に向かう時に歩いた横浜駅根岸道路と合流し、根岸森林公園に向かう。
山手本通り カトリック山手教会 山手本通り カトリック山手教会 

カトリック山手教会は文久元年(1862年)に横浜居留地に建てられ、明治39年(1906年)に現在地に移った。現在の建物は、 関東大震災後、昭和8年にチェコ人建築家・スワガーによって設計された。
山手本通り カトリック山手教会 山手本通り カトリック山手教会 

観光コースの中にありながら、それらしき案内もなく、美しい姿を保っている。
山手本通り 横浜山手女子高・中学校 山手本通り 横浜山手女子高・中学校 

名門女子高で、カトリック山手教会の向かい側にある。
山手本通り フェリス女学院界隈案内図 山手本通り フェリス女学院界隈案内図 
山手本通り フェリス女学院女子高・中学校 山手本通り フェリス女学院女子高・中学校 

名門女子高で、カトリック山手教会の少し先の向かい側にある。
山手本通り べーリック・ホール 山手本通り べーリック・ホール 
山手本通り べーリック・ホール 山手本通り べーリック・ホール 

べーリック・ホール(旧ベリック邸)は、イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、昭和5(1930)年に設計されました。第二次世界大戦前まで住宅として使用された後、昭和31(1956)年に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄付され、平成12(2000)年まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていました。
平成13(2001)年横浜市は、建物が所在する用地を元町公園の拡張区域として買収するとともに、建物については宗教法人カトリック・マリア会から寄付を受け、復元・改修等の工事を経て、平成14(2002)年から建物と庭園を公開しています。
山手本通り 雙葉小学校入口交差点 山手本通り 雙葉小学校入口交差点 

交差点の手前左側にべーリック・ホールがあり、向かいの左側が元町公園、反対側に横浜雙葉学園がある。横浜山手、フェリス女学院と名門の女子校が建ち並ぶ。
山手本通り 横浜雙葉学園 山手本通り 横浜雙葉学園 

名門女子高で、元町公園の向かい側にある。
山手本通り 元町公園 山手本通り 元町公園 
山手本通り 元町公園 エリスマン邸 山手本通り 元町公園 エリスマン邸 

エリスマン邸は、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅として、大正14(1925)年から15(1926)年にかけて山手町127番地に建てられました。設計は、「現代建築の父」といわれるチェコ出身の建築家アントニン・レーモンドです。
山手本通り 元町公園 エリスマン邸 山手本通り 元町公園 エリスマン邸 
山手本通り 元町公園 エリスマン邸 山手本通り 元町公園 エリスマン邸 
山手本通り 元町公園 山手本通り 元町公園 
山手本通り 元町公園 山手本通り 元町公園 
山手本通り 外人墓地 山手本通り 外人墓地 
山手本通り 外人墓地 山手本通り 外人墓地 

元町公園に隣接し、山手本通りが左に曲がった所にある。
山手本通り 外人墓地 山手本通り 外人墓地 

もと増徳院の境内であったこの地は、安政元年(1854)2月、日米和親条約(神奈川条約)をむすぶため来日中のアメリカ使節ペリー一行のうち、客死した海兵隊員を葬ったのに由来し、横浜開港後、居留外国人の葬地となった。
生麦・井土ヶ谷両事件の被害者を始めとし、明治初期、日本文化に貢献したワーグマン、モレル、ヘールツなどが眠っている。
山手本通り 外人墓地 山手本通り 外人墓地 
山手本通り 山手本通り 

外人墓地前で道なりに曲がった先に港の見える丘公園がある。
山手本通り 港の見える丘公園前交差点 山手本通り 港の見える丘公園前交差点 

正面突き当りが港の見える丘公園で、左折するとフランス山に沿って谷戸坂を下り、谷戸橋、元町商店街に至る。

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