第二鳥居〜拝殿〜南門
靖国神社 第二鳥居 | |
靖国神社 第二鳥居前 大灯籠(右) 昭和10年に富國徴兵保険(現在の富国生命)が奉納した日本一の大灯籠で、右が旧海軍、左に旧陸軍の戦闘場面が描かれている。。 |
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靖国神社 第二鳥居前 大灯籠(右) 日露戦争の日本海海戦の東郷司令長官を描いた三笠艦橋の図である。 |
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靖国神社 第二鳥居前 大灯籠(右) 日清戦争で清国の北洋艦隊を破った黄海海戦の図で、他にも日露戦争の旅順港閉鎖での広瀬中佐の図などがある。 |
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靖国神社 第二鳥居前 大灯籠(左) 陸軍関連の図が飾られている。 |
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靖国神社 第二鳥居前 大灯籠(左) 「清国事変 天津城ノ攻撃」の図で、義和団の乱の様子を描いている。他にも上海事変の爆弾3勇士の図などがある。 |
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靖国神社 第二鳥居前 大灯籠(左) | |
靖国神社 第二鳥居前 案内図 | |
靖国神社 第二鳥居 | |
靖国神社 神門前 全国靖国献酒会 | |
靖国神社 神門 | |
靖国神社 神門前の御由緒書 当靖国神社は幕末嘉永六年以来幾多の事変戦役を経て先般の大東亜戦争に至る間に戦没せられた人々のみたまをおまつり申し上げている神社であります。御祭神は北白河宮能久親王同永久王の御霊を始めとし、沖縄の男女生徒の年若きみたまに至る迄、国民の各層に及びその数は二百四十万柱の多きを数えます。 その起源は、明治天皇の思召に依り明治二年六月二十九日、一身を捧げて国難に殉ぜられた人々の勲を永く顕彰し、そのみたまをお慰め申上げる為に、この地に東京招魂社として創立せられたのに始まり、明治十二年に至り靖国神社と改称せられました。 |
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靖国神社 中門鳥居 | |
靖国神社 拝殿 | |
靖国神社 拝殿脇 靖国大絵馬 | |
靖国神社 拝殿脇 靖国大絵馬 この大絵馬は、愛知県名古屋市伊勢絵馬協賛会安田識人氏から御祭神奉慰のため昭和五十三年から奉納ぃただいているもので、横ニ.七六メートル、高さ二.一九メートルのジャンボ絵馬として新春の靖国の名物となっている。 |
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靖国神社 拝殿脇 全国神社奉納絵馬展 | |
靖国神社 拝殿脇 全国神社奉納絵馬展 明治神宮、根津神社、東郷神社など、馴染みの深い神社の絵馬も飾られている。 |
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靖国神社 拝殿脇 全国奉納酒造業者 | |
靖国神社 遊就館 靖国神社の祭神ゆかりの資料を集めた宝物館。幕末維新期の動乱から大東亜戦争(太平洋戦争)に至る戦没者、国事殉難者を祭神とする靖国神社の施設として、戦没者や軍事関係の資料を収蔵・展示している。1882年(明治15年)に開館した、日本における「最初で最古の軍事博物館」。 独特の歴史観により、近年物議をかもしたことでも有名である。 |
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靖国神社 中門鳥居前で参道を渡り、南門へ | |
靖国神社 南門前 幕末志士ゆかりの練兵館跡 | |
靖国神社 南門前 幕末志士ゆかりの練兵館跡 この練兵館は、神道無念流の剣客斉藤弥九郎により、それまで俎橋付近にあった練兵館が天保9年(1838年)の火事で類焼したため、この地に再建され、その後約30年間隆盛を誇った。 練兵館には、高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)、品川弥二郎など幕末の志士が多数入門し、特に桂小五郎は剣の腕前も優れ、師範代もつとめている。また、伊藤俊輔(伊藤博文)も出入りしていたといわれる。 なお、この練兵館は千葉周作(北辰一刀流)の玄武館、桃井春蔵(鏡新明智流)の士学館とともに、幕末三道場といわれている。 |
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靖国神社 南門 南門を出ると靖国通りの靖国神社南門交差点である。 |