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浅草 鷲神社(平成20年 二の酉の市)

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国際通り 鷲神社 二の酉の市 国際通り 鷲神社 二の酉の市 
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これがあの鷲神社かと思うほど境内一杯に縁起物の熊手を売る店が建ち並び、参拝客で溢れ返り、さすがは下町の風物詩である。
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鷲神社は、江戸時代「鷲大明神社」と称されていたが、明治のはじめ「鷲神社」と改称された。祭神は天之日鷲命・日本武尊の二神。草創は不明である。社伝によれば、天之日鷲命の祠に、日本武尊が東国征伐の帰途、熊手をかけて戦勝を祝った。この日が十一月酉の日で、以後、この日をお祭と定めたという。
 酉の市は、江戸中期より冬の到来を告げる風物詩として発展し、足立区花畑を「大鳥」、浅草を「新鳥」と称した。浅草はとくに浅草観音・新吉原・猿若町芝居小屋を控え、賑いをみせた。
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なぜ、酉の市で「切山椒」?

 山椒は日本最古の香料で、葉、花、実、幹、樹皮に至るまで、全てを利用することが出来る落葉低木で、山椒の木はとても硬いので、すりこぎや杖としても利用されています。
 このように捨てるところがない全てが利用できる(有益である)との縁起から切山椒が商われるようになり、甘い菓子が少なかった江戸時代より、祭や市などの時には甘い菓子が大変喜ばれ、参拝のおみやげに名物として熊手と共にもてはやされています。
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熊手を買うと買い手、売り手ともに声を合わせてご祝儀の三三七拍子が行われる。毎回行われるのではなく、ある程度高価なものに対してである。
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企業の予約も多く、中央の熊手で35万円だそうであある。最も小さいもので2000円であるが、勉強で1500円になっている。
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社殿には参拝する人でごった返している。
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境内にはテントが張られ、所狭しと熊手が飾られている。
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鷲神社は江戸時代以前より此の地にまつられ、江戸時代は鷲大明神社と号し、福運を招き、強運にあずかる守り神として鷲大明神がまつられ、大明神と伝われるとおり神様をおまつりしています。
鷲大明神は天日鷲命と申され、開運・商売繁盛にあらたかな神として古くから崇敬されております。
その発祥は景行天皇の御代、日本武尊が東夷征討の時、鷲大明神社(鳥の社)に立ち寄られ、戦勝を祈願し、志をとげての帰途社前の松に武具の「熊手」をかけて勝ち戦を祝い、お礼参りをされました。その碑が十一月の酉の日であったので、この日を鷲神社の例祭日と定めたのが「酉の祭」即ち「酉の市」の起源・発祥です。


 
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