湯島聖堂


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湯島聖堂 仰高門 湯島聖堂 仰高門 

聖橋から直接入ることも出来るが、お濠沿いに昌平橋方向に歩いて、正門から入る方が分り易い。
湯島聖堂 湯島聖堂 

寛永九年(一六三二)、尾張藩主徳川義直、林道春(羅山)をして、上野忍ケ丘に先聖殿を造営せしめしに始まる。その回禄(火災)の災に罹るや、元禄三年(一六九〇)、将軍綱吉之を今の地に移して、大成殿と称せり。後、寛政十一年(一七九九)大成殿及び杏壇・入徳・仰高諸門を再建し、明治維新の際、大学を此地に置くに及び、一旦孔子以下の諸像を撤去せしも、後、旧に復せり。

昭和11年の文部省の説明文のため、ルビが振ってあるが、旧字分は一部直してここに掲載した。
湯島聖堂 案内図 湯島聖堂 案内図 

昌平坂学問所跡
1797年(寛政9年)幕府は学舎の敷地を拡げ、建物も改築し、.孔子の生まれた地名とって、「昌平坂学問所」(昌平黌ともいう)を開きました。学問所は明治維新(1868年)に至るまで70年間、官立の大学として江戸時代の文教センターの役割りを果たしました。
湯島聖堂 仰高門 湯島聖堂 仰高門 

湯島聖堂は儒教であり、お盆には関係ないはずだが、「お盆休みでの休館」案内が出ていた。理由は、儒教の施設ではなく、博物館としての位置づけだからである。
湯島聖堂 斯文会館 湯島聖堂 斯文会館 
湯島聖堂 孔子銅像建立ノ記 湯島聖堂 孔子銅像建立ノ記 
湯島聖堂 孔子銅像 湯島聖堂 孔子銅像 

大きな銅像で、撮影の前に見物していた女性の頭が腰の位置以下であった。
湯島聖堂 湯島聖堂 

正面奥やや右に聖門からの入口があり、その手前に大成殿への入口がある。
湯島聖堂 湯島聖堂 
湯島聖堂 入徳門 湯島聖堂 入徳門 
湯島聖堂 杏壇門 湯島聖堂 杏壇門 
湯島聖堂 杏壇門 湯島聖堂 杏壇門 
湯島聖堂 大成殿(孔子廟) 湯島聖堂 大成殿(孔子廟) 
湯島聖堂 大成殿(孔子廟) 湯島聖堂 大成殿(孔子廟) 

中には孔子の小さな像が祀られている。大成殿の中はガランとしており、中国式の石の床である。

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