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ひさご通り〜浅草六区ブロードウェイ商店街〜浅草駅

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言問通り 西浅草三丁目交差点から最初の交差点で右折、ひさご通りへ 言問通り 西浅草三丁目交差点から最初の交差点で右折、ひさご通りへ 

交差点名はないが、言問通りを挟んで反対側は千束通りである。
ひさご通りは花やしき入口まで続く商店街で、国際通りを南下して花やしきに行くのが普通だが、趣あるアーケードである。
ひさご通りを南下 ひさご通りを南下 
ひさご通り 江戸下町伝統工芸館 ひさご通り 江戸下町伝統工芸館 
ひさご通り 掲示されている浅草酉の市のポスター ひさご通り 掲示されている浅草酉の市のポスター 
ひさご通り 出口手前 ひさご通り 出口手前 

ひさご通りに入った、と思ったらすぐ花やしき側の出口が見えてくる。
ひさご通りを出て左折すると花やしき通り ひさご通りを出て左折すると花やしき通り 

奥山おまいりみちの奥山大木戸前にあった浅草江戸町案内図によれば、「花やしきエンターティメント通り」と呼ばれる通称花やしき通りで、街並みが江戸時代の風景にされており、浅草のイメージに合わされている。
浅草 六区ブロードウェイ 浅草凌雲閣記念碑 浅草 六区ブロードウェイ 浅草凌雲閣記念碑 

ひさご通り出口で右折し、六区ブロードウェイの端にあるパチンコ店 サンシャインアサクサ前に銅板の説明板がある。注意して見ないと見落とす。
浅草 六区ブロードウェイ 浅草凌雲閣記念碑 浅草 六区ブロードウェイ 浅草凌雲閣記念碑 

一見しただけでは何の説明が分からないほど摩耗がひどく、読みにくい。

 1890年(明治23年)11月27日。この地、台東区浅草二丁目壱捨四番5号辺りに浅草凌雲閣(通称:12階)が完成。設計は東京の上水道設計者でもある英国人ウイリアム・K・バルトンが担当。当時としては超高層の八角形12階の建物で、1階から10階までが煉瓦積、11・12階が木造で、屋根には風見の付いた避雷針がのり、8階までは日本で最初の電動エレバーターを設置、各階には凡そ50の店が軒をつらねた。最上階の12階には30倍の望遠鏡が設置され、隅田の流れからお台場を映し品川沖の海、遠くは筑波、秩父の山が眺めたと言われる。観覧料は大人8銭(現在の約700円)子供4銭であったが高所から東京を一望しようという人が押し寄せ、東京随一の観光場所となった。創業から33年の1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で破壊され、その幕を閉じた。
 明治・大正の33年間、多くの人達にときめきと感動をあたえ、一世を風靡し浅草の振興に貢献した浅草凌雲閣、その跡地に記念碑を設立し後世に記録として残します。
浅草 六区ブロードウェイ 再開発中の浅草新劇会館、浅草中劇会館跡 浅草 六区ブロードウェイ 再開発中の浅草新劇会館、浅草中劇会館跡 

右の区域はかつてピンク映画の浅草世界館など、六区を代表する映画専門の浅草新劇会館(昭和2年建築)、浅草中劇会館(昭和8年建築)であった。老朽化が甚だしく、2年前(平成24年)10月に閉館となった。
浅草 六区ブロードウェイ 商店街案内図 浅草 六区ブロードウェイ 商店街案内図 

浅草新劇会館、浅草中劇会館としてではなく、中にあった浅草世界館などとして記載されている。
浅草 六区ブロードウェイ 浅草公園史蹟巡り 浅草 六区ブロードウェイ 浅草公園史蹟巡り 

瓢箪池と凌雲閣(十二階)

 瓢箪池、この地は浅草場外発売所や東宝映画などの建ち並んでいる所にあった。明治十七年(一八八四)に浅草寺境内にあった奥山の見世物小屋などを現在の六区に移転させる計画のもとに、浅草田圃(この辺一帯)の一部を掘って池をつくり、その土で六区を造成した。大池が正式の名であるが瓢箪池の愛称で呼ばれ親しまれていた。池の広さは千八百二十余坪あり、池の中央に中の島があって藤棚や茶店が憩いの場となり東西を橋でつないであった。夜ともなれば池面に興行街を彩るイルミネーションが浅草の灯をうつして美観を呈した。
 当時の浅草公圍にはあらゆる階級の人間が集り、人間の生の息吹が渦巻いていた。瓢箪池は青春の思い出であり、人生哀歓オアシスであり、夢の泉でもあった。
 凌雲閣、通称十二階の名で知られ、明治二十三年(一八九〇)に浅草の空に聳え立った日本最高の凌雲閣は、東京市民驚嘆の的であった。凌雲閣は今の浅草東映から西北約五十メートルの地点にあった。(浅草公園五区、千束二丁目三十八番地)設計者はイギリス人WK・バートン氏。高さ約六十メートル、一階から十階までが煉瓦積で、十一階と十二階それに屋根は木造であった。八角形の塔状で八階まで日本最初の昇降装置があり、明治二十三年十一月十日に開業した。
 浅草の文明開化の金字塔であった東京名物凌雲閣も、大正十二年(一九二三)九月一日の関東大震災で八階から二つに折れ取りこわされてしまった。
浅草 六区ブロードウェイ ドン・キホーテ 浅草 六区ブロードウェイ ドン・キホーテ 
浅草 六区ブロードウェイ 浅草演芸ホール(東洋館) 浅草 六区ブロードウェイ 浅草演芸ホール(東洋館) 

六区といえば、昼から酒を飲む労務者がうろつき、ストリップ劇場とピンク映画(成人映画)の上映館、通りいっぱいに幟が飾られた大衆演劇場が並んだ猥雑な街というのが昭和の雰囲気だった。今ではわずかに大衆演劇の劇場があるだけで、道幅も広くなり、明るい街に変貌している。これが良いのかどうかは議論が分かれるところだろう。ストリップ劇場などで芸を磨いたというビートたけしなどの芸人の話が今の浅草の雰囲気とは合っていない。
浅草 六区ブロードウェイ 浅草ROX 浅草 六区ブロードウェイ 浅草ROX 
浅草 六区ブロードウェイ 浅草ROX2前で左折、新仲見世通りへ 浅草 六区ブロードウェイ 浅草ROX2前で左折、新仲見世通りへ 

直進するとすしや横丁で、手前右角に浅草ROXがある。
浅草 新仲見世通りを東進 浅草 新仲見世通りを東進 
浅草 新仲見世通り 右折して仲見世通りへ 浅草 新仲見世通り 右折して仲見世通りへ 
浅草 仲見世通り 雷門を通り抜けて左折、雷門通りへ 浅草 仲見世通り 雷門を通り抜けて左折、雷門通りへ 
浅草 仲見世通り 雷門を通り抜けて左折、雷門通りへ 浅草 仲見世通り 雷門を通り抜けて左折、雷門通りへ 
雷門通り 銀座線 浅草駅 雷門通り 銀座線 浅草駅 



 
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