|
東京メトロ 日比谷線 三ノ輪駅
三ノ輪駅〜投込寺 浄閑寺〜南千住駅〜小塚原 延命寺〜小塚原 回向院〜南千住駅〜吉野通り〜言問橋西交差点〜言問橋〜東京スカイツリー〜本所吾妻橋〜旧陸軍被服廠(横網町公園)〜緑一丁目交差点〜本所 吉良邸跡〜両国 回向院〜両国橋〜江戸通り〜伝馬町牢屋敷跡
【撮影記録】
平成22年 11月 2日 晴れ
10:30〜13:10 14,000歩(概算 11.2km)
江戸、東京の事件、災害、刑場巡りを3部作で撮ることとした。第1部として三ノ輪の投込寺(浄閑寺)から南千住の小塚原刑場(回向院、延命寺)を経て、吉野通りを南下、言問通りを歩き東京スカイツリーの現在を撮った。
その後三ツ目通り、蔵前橋通りを進み、関東大震災の旧陸軍被服廠(横網町公園)、本所警察署を経て、本所松坂町の吉良邸跡、明暦の大火(振袖火事)の犠牲者の菩提を弔う両国回向院、吉田松陰を始め幕末に多くの刑死者を出した伝馬町の牢屋敷跡まで巡った。 |
|
三ノ輪駅から大関横丁で右折、日光街道へ
写真左側は昭和通りで、この交差点で日光街道となる。この交差点で明治通りと交差する。 |
|
三ノ輪駅から大関横丁で右折、日光街道へ |
|
日光街道 大関横丁の次の小路を右折
橋本歯科医院の建物が目標で、右折するとすぐ左手に投込寺(浄閑寺)の白塀が見える。日光街道の少し先には常磐線の鉄橋が見える。 |
|
投込寺(浄閑寺)
投込寺(浄閑寺)の白塀に掲げられている。
音無川と日本堤
音無川は王子で石神井川からわかれている。その清流は田端・日暮里・金杉を流れ、三ノ輸橋をくぐり、浄閑寺の西側にそって、ここから山谷堀をへて隅田川にそそいでいる。今は暗渠になっているが、明治のおわりまで濯漑用水として使われていた。
音無川にそって、三ノ輪から聖天町(現浅草七丁目)まで続く土手を日本堤(吉原土手)といった。安藤広重の『名所江戸百景』に描かれ、新吉原への遊客でにぎわった堤も今はない。浄閑寺前の三叉路の最も南寄りの道路がその名残である。 |
|
投込寺(浄閑寺) |
|
投込寺(浄閑寺)
浄閑寺は浄土宗の寺院で、栄法山清光院と号する。安政二年(一八五五)の大地震の際、たくさんの新吉原の遊女が、投げ込み同然に葬られたことから、「投込寺」と呼ばれるようになった。花又花酔の川柳に、「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と詠まれ、新吉原総霊塔が建立された。
檀徒の他に、遊女やその子供の名前を記した、寛保三年(一七四三)から大正十五年(一九二六)にいたる、十冊の過去帳が現存する。
遊女の暗く悲しい生涯に思いをはせて、作家永井荷風はしばしば当寺を訪れている。「今の世のわかき人々」にはじまる荷風の詩碑は、このような縁でここに建てられたものである。 |
|
投込寺(浄閑寺) 工事中の本堂 |
|
投込寺(浄閑寺) 浄閑寺史蹟
多くの史蹟が列記されているが、どこにあるのかの案内がないため、 新吉原総霊塔などすぐ分かるものを撮った。 |
|
投込寺(浄閑寺) 新吉原総霊塔
投込寺(浄閑寺)と言えば必ず出てくる史蹟で、本堂裏に入るとすぐ分かる。 |
|
投込寺(浄閑寺) 新吉原総霊塔
有名な川柳である。
花又花酔の川柳
「生まれては苦界、死しては浄閑寺」 |
|
投込寺(浄閑寺) 永井荷風文学碑
本堂工事のアルミパイプが邪魔で写真が撮りにくいが、永井荷風の作品が記されている。
「震災」
「偏奇館吟草より」 と記されている。 |
|
投込寺(浄閑寺) 永井荷風文学碑
明治・大正・昭和三代にわたり詩人・小説家・文明評論家として荷風永井壮吉が日本藝林に遺した業績は故人没後益々光を加へその高風がやうやく弘く世人の仰ぐところとなった。谷崎潤一郎を初めとする吾等後輩四十二人故人追慕の情に堪へず故人が生前「娼妓の墓乱れ倒れ」(故人の昭和十二年六月二十二日の日記中の言葉)でゐるのをスんで?々杖を曳いたこの境内を選び
個人ゆかりの品を埋めて荷風碑を建てた。 |
|
投込寺(浄閑寺) ひまわり地蔵尊
山谷には、労働に生き労働に老いて、ひとリ淋しく人生を終る人が数多くいます。
山谷老友会は、孤独の壁をこえて連帯し、はげましあい、またささえあってきましたが、死後の安心なしには、真の生活の安らぎがないところから、ひまわり地蔵尊の建立を思いたちました。ひまわりの花は、太陽の下で一生を働きぬいてきた日雇労働者のシンボルといえます。 |
|
投込寺(浄閑寺) ひまわり地蔵尊
本堂工事のアルミパイプが邪魔で写真が上手く撮れなかった。 |
|
投込寺(浄閑寺)の白塀沿いに東進 |
|
正面に東京スカイツリーを見つつ、東進
日比谷線を歩いた時は北千住から南下したので、逆になる。つくばエクスプレスの時は秋葉原からなので、同じコースとなる。 |
|
南千住二丁目交差点で左折、吉野通りへ |
|
吉野通り 南千住駅前歩道橋
常磐線の跨線橋である。吉野通りは手前から地下道で常磐線の下を潜り抜ける。 |
|
吉野通り 南千住駅前歩道橋 界隈案内図
赤印は現在地、中央やや右の縦線は吉野通りで、左端の白縦線は土手通りである。途中で右に分岐するのは明治通りである。 |