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主婦会館から麹町大通りに出る一之宮鳳輦 |
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主婦会館から麹町大通りに出る二之宮鳳輦 |
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主婦会館から麹町大通りに出る宮神輿 |
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麹町大通り 麹町六丁目交差点 錦旗、大幟
大幟は2流あり、前が「聖上無窮・萬民豊楽」、後が「天下泰平・国土安穏」である。 |
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麹町大通り 鉄道弘済会館前交差点 |
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麹町大通り 麹町ミレニアムガーデンオフィスタワー前 麹町五丁目町会 御神酒所 |
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麹町大通り 麹町五丁目 氏子事務所前 祭囃子 |
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麹町大通り 町名由来 麹町五丁目
江戸時代以前、このあたりは矢部村または横山村と呼ばれていました。徳川家康が江戸に入った後、現在の麹町大通り(新宿通り)沿いに町屋が開かれ、麹町となりました。通りの甫側は谷地でしたが、寛永のころ(1624〜1644)、四谷堀を掘ったときに出た土を使って埋め立てられ、町が整備されていきました。
この界隈が麹町と名付けられた由来については諸説あります。町内に「小路」が多かったためとも、米や麦などの穀物を発酵させた「麹」をつくる家があったためとも、また武蔵国府(現・府中市)へと向かう「国府路(こうじ)」があったからともいわれています。
ここには慶長のころ(1596〜1615)、十五軒ほどの遊廓がありましたが元和三年(1617)にほかの遊郭とともに日本橋葺屋町へ移転して、吉原(新吉原と区別して元吉原と呼ぶ)となりました。
町屋の北側は寺院、南側は武家屋敷で、安政三年(1856)には、この絵図にも見られるように、栖岸院や志摩鳥羽藩稲垣家上屋敷などがありました。
ほかにも、講談で名高い盗賊鼠小僧次郎吉が、江戸時代後期に町内にあった質屋の蔵に盗みに入ったという話も、町に伝わっています。 明治時代には通り沿いは商店街となり、町の南側には麹町警察署や消防第三分署などが置がれていました。 |
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麹町大通り 鉄道弘済会館前交差点 人力車に乗る宮司 |
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麹町大通り 鉄道弘済会館前交差点 巫女 |
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麹町大通り 鉄道弘済会館前交差点 花山車 |
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麹町大通り 鉄道弘済会館前交差点 美少年山車 |
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麹町大通り 鉄道弘済会館前交差点 地区の小学生が引く御幣を担ぐ猿山車 |
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麹町大通り 鉄道弘済会館前交差点 地区の小学生が引く御幣を担ぐ猿山車 |
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麹町大通り 鉄道弘済会館前交差点 地区の小学生が引く東郷元帥山車 |
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麹町大通り 鉄道弘済会館前交差点 地区の小学生が引く東郷元帥山車 |
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麹町大通り 神幸祭見物の小学生 |
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麹町大通り 麹町四丁目交差点で左折、日テレ通り(善国寺坂)へ |
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日テレ通り(善国寺坂) 巫女
この坂を善国寺坂と言います。「新撰東京名所図会」には「善国寺坂、下二番町の間より善国寺谷に下る坂をいう。むかし此処の坂上に鎮護山善国寺にありしに因り名づく」鎮護山善国寺は標識の場所から見ると、右斜め前の辺りにありましたが、寛政一〇年(一七九八)の火事により焼失して牛込神楽坂に移転しました。坂下のあたりは善国寺谷、また鈴降(振)谷と呼ばれたといいます。 |
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日テレ通り 日本テレビ麹町ビル |