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02建仁寺〜六道珍皇寺〜清水寺〜高台寺〜八坂神社R010718




地図上の歩行距離 4.2km(システムの機能上、実際のルートと違う場所があります)
Nkm/Mkm N:区間距離、M:起点からの累積距離

経路 A:河原町駅〜四条通り〜祇園花見小路〜B:建仁寺(1.0km)〜松原通り〜
C:六道珍皇寺(0.5km/1.5km)
〜松原通り〜D:清水寺(0.9km/2.4km)
産寧坂〜E:高台寺(1.1km/3.5km)〜ねねの道〜F:八坂神社(0.7km/4.2km)

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  祇園 花見小路〜建仁寺〜松原通り

 河原町駅から四条通を東進、鴨川に架かる四条大橋を渡ると、四条大橋交差点に京都四條南座があり、同一の場所で今日まで興行を続けてきたという意味では、日本最古の劇場である。祇園祭の飾り付けがされている商店街を東進、右折して花見小路通へ入る。花見小路通は由緒ある茶屋や料理屋が立ち並び、入ってすぐの一力亭は 祇園の中でも最も格式の高い、由緒のある「お茶屋」で、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」にも登場する歴史的なお茶屋である。和装小物の菊梅、その奥に京料理の西坂甘味処のぎおん徳と続き、七月授業日割表に「舞踊科 井上八千代先生」の札がかかる八坂女紅場学園がある。さらに一直線の花見小路通を南下すると、建仁寺の北門に至る。

 建仁寺は建仁2年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として建立さtれた。北門から入り、一直線な参道を南下、本坊、法堂と進み、欧米の学生グループが熱心に見学をしている栄西禅師茶碑、開山堂 千光祖師栄西禅師入定塔、浴室と経て八坂通に出る。ホテル ザ セレスティン京都祇園の角で右折、直進して突き当りで左折して松原通を東進する。松原通を進み、左には小野篁卿旧跡、六道の辻の石柱がある六道珍皇寺の山門に着く。寺域は、古来からの葬送の地、鳥辺野の麓で入口付近に当たることから、冥界との境界「六道の辻」と称され、お盆に帰る精霊は必ずここを通るともされた。昼は朝廷、夜は閻魔庁の役人として仕えた小野篁が両者の行き来に使ったと言われる冥土通いの井戸や、小野篁像、閻魔大王像などの見物を楽しみにしていたが、特別拝観日以外は立ち入ることが出来ず、トイレさえ使用もできないという厳しさで、境内に入った、というだけに終わった。

 松原通を東進、清水道交差点で東大路通を渡り、坂を上り、日體寺、次々と中国人を吐き出す観光バス駐車場と過ぎ、左から産寧坂、右から五条坂が合流する交差点を通る清水坂となる。女性用で3000円以上、男性用で4000円以上のレンタル着物店で着替えた中国人が溢れる土産物店が並ぶ狭い清水坂を上っていくと清水坂仁王門前の広場である。

  清水寺〜産寧坂〜高台寺

 清水寺の仁王門前広場の現在時刻は11:55で、熱中症計は厳重警戒、温度31.8℃、湿度は高湿度で計測不可能である。連日25℃を超すこともなく、冷夏が続く東京から来ると、その蒸し暑さは耐え難い。広場の橋で涼みながら休んでいると、感覚的に90%以上が中国人、3〜4%がその他外国人、残りが日本人である。八坂神社で乗ったタクシーの運転手も最近中国人の多さに嫌気が差したのか、日本人観光客が減っている、というのが実感できる。多くの若い女性が着物姿なのは分かるが、なにか着崩れ感があり、蒸し暑いので裾を捲り上げる娘や、50、60過ぎの老婆がピンクや赤の娘たちと同じ浴衣でポーズをとるなど化物屋敷であり、着物レンタル店の悪意を感じる。珍しく決まっている、と思ったら日本人だった。次々に中国人が仁王門に向かうが、写真を撮ったら確認するためなかなか動かず、やっと撮ろうとしたら平気で割り込んでくるので撮影もままならない。噂には聞いていたが、ここは日本なのか中国なのか分からない。階段を上り、仁王門、三重塔を経て本堂舞台に向かうが、入場券売り場もさることながら、入場の普門閣(重文 轟門)の人混みを見たら入る気もせず、工事の幕で覆われた舞台を見て引き返した。何故か多くの中国人も西門や三重塔前は少なく、代わりに他の国の外人が多かった。

 清水坂を下り、右折して産寧坂を下る。転ぶと3年以内に死ぬと言われる産寧坂(3年坂)は狭くて、急な坂であるが、幕末に会津と土佐藩が切腹事件を起こした明保野亭を過ぎ、平地に出ると法然、親鸞を祀る興正寺霊山本廟がある。右折して二寧坂を下り、左折すると一念坂の角を直進して二寧坂の路地を進む。清水寺ではうんざりするほど屯していた中国人は、数組のグループ以外は見当たらず、食事や買物を楽しむ日本人が多い。二寧坂の路地を進み、右に京都霊山護国神社の鳥居がある維新の道との交差点を渡り、歩いていくと霊山観音の大駐車場に出る。その左奥に高台寺がある。

 霊山観音の駐車場から左奥の高台寺へ向かうと絵馬所があり、秀吉、ねね夫婦石像が可愛らしく作られているのはともかく、絵馬がピンクのハート型で可愛い夫婦像が描かれている。その奥が庫裏で、前で左折すると拝観券の売り場がある。順路に従い庭園を歩いていくと本堂(方丈)があり、靴を脱いで見物するが、方丈前庭の波心庭(はしんてい)以外は撮影は禁止である。更に歩いて開山堂を経て出口を出ると勅使門がある。

  高台寺〜ねねの道〜八坂神社

 高台寺前大門を出て堂々とした立派な坂である台所坂を下リ右折、坂を上って北上すると御陵衛士屯所跡の碑がある高台寺塔頭 月真院がある。幕末に新撰組参謀の伊東甲子太郎が油小路木津屋橋で謀殺され、さらに伊藤の遺体を引き取りに来た多くの同志も、新撰組隊士によって斬られ、御陵衛士隊の活動は終止符を打った。ねねの道の突き当りの大雲院 祇園閣(銅閣)で右折、すぐ左折して北上する。大雲院は非公開で、祇園閣(銅閣)の屋根は山鉾の形をしている。ねねの道を進み、祇園堂 祇園女御供養塔、大谷祖廟参道と過ぎ、円山公園前の頼山陽先生墓碑 道標に至る。

 円山公園を南口から入ると池があり、その奥左に名物の枝垂れ桜がある。しかし、その説明板は摩耗が激しい上に、大粒の雨粒が黒いシミとなって全く読むことは出来なかった。枝垂れ桜の南側を西進、木賊山、芦刈山、伯牙山、郭巨山などの10基の山鉾が格納されている祇園祭山鉾館を過ぎて赤鳥居をくぐると八坂神社の本殿、舞殿がある。雨はますます激しくなってきて、本当は舞殿横から西に進み、四条通の祇園交差点に聳え立つ西楼門に行きたかったが、断念して南楼門から出ることにした。南楼門の先の石鳥居を出て大谷御廟 参道、秋葉三尺坊大権現を過ぎた所でタクシーが来たので京都駅新幹線の八条口に向かった。





 
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