相鉄 天王町〜保土ヶ谷宿〜権太坂

【関連サイト】 JR 横須賀線(横浜〜権太坂〜戸塚)


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天王町駅前公園 旧帷子橋跡 天王町駅前公園 旧帷子橋跡 

 江戸時代、東海道が帷子川を渡る地点に架けられていた帷子橋は、絵画に描かれたり、歌や俳句に詠まれるなど、保土ケ谷宿を代表する風景として知られていました。中でも初代広重の「東海道五十三次之内 保土ヶ谷」は特に有名です。
 大橋や新町橋などとも呼ばれた帷子橋について、『新篇武蔵風土記稿』の帷子町(保土ケ谷宿のうち)の項には、「帷子橋 帷子川二架ス板橋ニテ高欄ツキナリ、長十五間、幅三間、御普請所ナリ」という記載がみられます。
天王町駅前公園 旧帷子橋跡 天王町駅前公園 旧帷子橋跡 

ここから写真のような案内板がポイントごとに設置されており、ただでさえ横丁にしか見えない旧東海道を歩くには非常に分りやすい。
天王町駅前公園 保土ヶ谷宿周辺散策案内図 天王町駅前公園 保土ヶ谷宿周辺散策案内図 
天王町駅前公園 保土ヶ谷宿周辺散策案内図 天王町駅前公園 保土ヶ谷宿周辺散策案内図 
旧東海道 保土ヶ谷宿歴史の道碑 旧東海道 保土ヶ谷宿歴史の道碑 

環状1号線が道成りに保土ヶ谷駅に到る。その途中にある。
旧東海道を西進 旧東海道を西進 
保土ヶ谷駅前で直進、旧東海道へ 保土ヶ谷駅前で直進、旧東海道へ 

環状1号線は天王町駅前を通って続くが、左側にカーブして保土ヶ谷駅に到る。旧東海道はその手前で道成りに直進する。
旧東海道 保土ヶ谷駅手前の分岐点 旧東海道 保土ヶ谷駅手前の分岐点 

保土ヶ谷駅手前の分岐点に立てられている案内板がなければ、旧東海道はありふれた道なので迷うだろう。
旧東海道 保土ヶ谷宿 旧東海道 保土ヶ谷宿 
旧東海道 保土ヶ谷宿 助郷会所跡 旧東海道 保土ヶ谷宿 助郷会所跡 

助郷村々の人馬を手配するため設けられたのが助郷会所です。
旧東海道 保土ヶ谷宿 助郷会所跡
旧東海道 保土ヶ谷宿 助郷会所跡 

各助郷村の代表はここに出勤して問屋場の指示に対応するとともに、村が手配した人馬が不公平な割り当てを受けたり、不正に使用されないよう監視する場所でもありました。
旧東海道 保土ヶ谷宿 保土ヶ谷宿場まつり 旧東海道 保土ヶ谷宿 保土ヶ谷宿場まつり 

3週間後の平成19年10月13日(土)、14日(日)に行われる。
旧東海道 保土ヶ谷宿 問屋場跡 旧東海道 保土ヶ谷宿 問屋場跡 

宿場の公的な業務のうち、幕府の公用旅行者や大名などの荷物運搬(人馬縦立)、幕府公用の書状等の通信(継飛脚)、大名行列の宿泊の手配などを担っていたのが問屋場で、宿場の中でも最も重要な施設のひとつです。宿場ではこの業務をつとめるのに十分な数の人足と馬を用意するよう定められていまLた。問屋場には問屋を筆頭に、年寄、帳付、馬指などの宿役人が詰めていました。
旧東海道 保土ヶ谷宿 高札場跡 旧東海道 保土ヶ谷宿 高札場跡 

宿場の高札場には一般の法令等に関するものだけではなく、隣の宿場までの荷物の運搬料金や旅籠屋の木賃(宿泊料)等を細かく記載した高札も掲出されました。
旧東海道 保土ヶ谷宿 旧東海道 保土ヶ谷宿 

金沢・鎌倉道と旧東海道との分岐点である。
旧東海道 東海道線踏切 旧東海道 東海道線踏切 

踏切を渡ると国道1号線と突き当たり、右折して戸塚に向う。
国道1号線 保土ヶ谷一丁目 本陣跡前交差点 国道1号線 保土ヶ谷一丁目 本陣跡前交差点 

突き当りの建物が保土ヶ谷宿本陣跡である。
国道1号線 保土ヶ谷一丁目 本陣跡前交差点 国道1号線 保土ヶ谷一丁目 本陣跡前交差点 
旧東海道 保土ヶ谷宿 本陣跡 旧東海道 保土ヶ谷宿 本陣跡 

 慶長6年(1601年)正月、東海道の伝馬制度を定めた徳川家康より「伝馬朱印状」が「ほとかや」(保土ヶ谷町)あてに出されたことにより、保土ヶ谷宿が成立しました。
 東海道を往来する幕府の役人や参勤交代の大名は、宿場に設置された本陣に宿泊しました。保土ヶ谷宿の本陣は、小田原北条氏の家臣苅部豊前守康則の子孫といわれる苅部家が代々つとめています。同家は、問屋・名主を兼ねるなど、保土ヶ谷宿における最も有力な家で、安政6年(1859年)に横浜が開港する際、当時の当主清兵衛悦甫が総年寄に任ぜられ、初期の横浜町政に尽くしました。明治3年(I870年)に軽部姓に改称し.現在に至っています。
 本陣が混雑した際、幕府の役人や参勤交代の大名は脇本陣に宿泊しました。保土ヶ谷に藤屋・水屋・大金子屋の3軒の脇本陣がありました。
旧東海道(国道1号線)を西進 旧東海道(国道1号線)を西進 
旧東海道 保土ヶ谷宿 脇本陣跡 旧東海道 保土ヶ谷宿 脇本陣跡 

脇本陣(藤屋)跡で、建坪や間口などの大きさが書かれている。
旧東海道 保土ヶ谷宿 脇本陣跡 旧東海道 保土ヶ谷宿 脇本陣跡 

消防署の本陣出張所の隣にある脇本陣(水屋)跡で、建坪や間口などの大きさが書かれている。
旧東海道 一里塚跡 旧東海道 一里塚跡 

街道の距離の目安として、一里ごとに設置されたのが一里塚です。一里塚は、街道の両側に土盛した小山を作り、その上に遠くからでも目立つよう榎など木々が植えられていました。この付近にあった一里塚は、江戸から八番目のものです。
旧東海道 復元された一里塚 旧東海道 復元された一里塚 

保土ヶ谷宿の一里塚
松並木と同時期、街道の距離の目安として、日本橋を起点に一里(約4km)ごとに築かれたのが一里塚です。一里塚は、街道の両側に士を盛って小山をつくり、その上には遠くからでも目立つよう榎や松などの木々が植えられていました。
 保土ヶ谷宿の一里塚は日本橋から八番目に位置し、この附近(現在の車道上)にありましたが、古くから南側の一基の存在しか伝わっていません。その一里塚も明治時代の始め、宿場制度の廃止に伴って姿を失いました。
 この度の一里塚復元事業では、場所の制約から文献にあるような「五間(9m)四方」に相当する大きさの塚を築くことかできませんでしたが、塚の上には昔のように榎を植え、松並木と併せて宿場時代の再現に努めました。
旧東海道 復元された一里塚 旧東海道 復元された一里塚 

4年前に横須賀線沿線を歩いた時には、このような案内板はもちろん、一里塚らしきものもなかった。この再建の説明を読むと平成19年3月で、半年前である。
保土ヶ谷2丁目交差点で直進、旧東海道へ進む 保土ヶ谷2丁目交差点で直進、旧東海道へ進む 

国道1号線は道成りに左にカーブしていく。
保土ヶ谷2丁目交差点で直進、旧東海道へ進む 保土ヶ谷2丁目交差点で直進、旧東海道へ進む 

このような案内がなければ旧東海道への入口を見落とす。
旧東海道 樹源寺 旧東海道 樹源寺 

旧東海道から見た風景はそれほどの寺とは見えないが、入ると見事な庭園があり、お彼岸の墓参りする人が何組もいた。
旧東海道 樹源寺 旧東海道 樹源寺 

妙秀山 樹源寺の沿革
 当山は鎌倉時代末期まで、東方山医王寺という真言宗の巨刹(おおでら)でしたが、兵火にかかり薬師如来を安置した薬師堂のみを残して一時期廃寺同然となっていました。
後、寛永年間( 1624-44 )になり、保土ヶ谷宿本陣刈部吉重の室(奥方)が日蓮聖人の御教に深く帰依され妙秀尼(みょうしゅうに)と号し、焼け残った薬師堂の大欅(おおけやき)の傍らに庵を結ばれ、師の善通院日了上人を招いて日蓮宗総本山身延山久遠寺の末寺として開山致しました。

旧東海道 元町ガード交差点で左折 旧東海道 元町ガード交差点で左折 

写真の右手に東海道線が走り、元町ガードがある。
旧東海道 元町ガード交差点で左折 旧東海道 元町ガード交差点で左折 

左折して直進すると国道1号線と合流する。その手前で右折すると旧東海道の権太坂となる。

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