権太坂〜品濃一里塚〜東戸塚

【関連サイト】 JR 横須賀線(横浜〜権太坂〜戸塚)


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旧東海道 権太坂入口 旧東海道 権太坂入口 

2車線のありふれた生活道で、この案内板以外には特に権太坂と書かれた案内もない。
旧東海道 権太坂 旧東海道 権太坂 

見た瞬間にこれは急坂だ、と思わせる坂道である。しかも、これがダラダラと続く。
旧東海道 権太坂改修記念碑 旧東海道 権太坂改修記念碑 

権太坂に入ってすぐの所にある。
旧東海道 権太坂陸橋 旧東海道 権太坂陸橋 

右端は首都高神奈川3号線狩場線で、少し先に狩場ICがある。中央の下る道との交差点が国道1号線狩場町交差点である。国道1号線との高低差は20m以上と思われる。1号線と別れた権太坂入口から180mほどしか歩いていないので、如何に急坂かが分る。
これは4年前に歩いた時の1号線の権太坂上交差点での風景からも分る。
旧東海道 権太坂の碑 旧東海道 権太坂の碑 
旧東海道 権太坂案内板 旧東海道 権太坂案内板 

この辺りは、権太坂と呼ばれる東海道を江戸から西へ向かう旅 人がはじめて経験するきつい登り坂でした。日本橋から四番目の宿場であった保土ヶ谷宿まではほぼ江戸内湾沿いの平坦地でしたが、宿の西にある元町橋を渡ったあたりよ り、長く続く険しい登り坂となります。
 『新編武蔵風土記稿』に、名前の由来は、道ばたの老齢の農民に旅人が坂の名を聞いたところ、耳の遠いこの老人は自分の名を聞かれたと思い、「権太」と答えたため、とあります。また、坂の上から目の下に見える神奈川の海は大変美しかった、とあります゜
 旅人にとっては印象深い場所になり、浮世絵などにも描かれる保土ヶ谷宿の名所ともなりました。
旧東海道 権太坂案内板 旧東海道 権太坂案内板 

権太坂の途中にある権太坂小学校前にある案内板で、権太坂由来の別の話が書かれていた。

「本当は権左」説
 昔、権左衛門という人が代官の指図によりひらいてできた道を、その名をとって「権左坂」と名付けたものが、いつのころか「権太坂」と呼ばれるようになったということです。
旧東海道 境木中学校丁字路で右折 旧東海道 境木中学校丁字路で右折 

4年前の横須賀線沿線歩きでは権太坂坂上交差点で右折、東戸塚に向う途中に通ったはずであるが、記憶にない。
旧東海道 境木立場跡 旧東海道 境木立場跡 

宿場と宿場の間に、馬子や人足の休息のためなどに設けられたのが立場です。中でもここ境木の立場には権太坂、焼餅坂、品濃坂と難所が続くなか、見晴らしの良い高台で西に富士、東に江戸湾を望む景観がすばらしく、旅人が必ず足をとめる名所でした。また、茶屋で出す「牡丹餅」は境木立場の名物として広く知られており、たいへん賑わったということです。、「保土ヶ谷区郷土史(昭和13年刊)」によると、こうした境木の立場茶屋のなかでも特に若林家には明治中期まで黒塗りの馬乗門や本陣さながらの構えの建物があったとされ、参勤交代の大名までもが利用していたと伝えられています。
旧東海道 武相国境之木 旧東海道 武相国境之木 

地名の境木とは、武蔵国と、相模国との国境の木と言う意味である。
旧東海道 境木地蔵尊 旧東海道 境木地蔵尊 

この地蔵尊はともかく、境木立場案内板などよく整備された場所だが、4年前に歩いた時には記憶がない。しかも、ここが旧東海道の品濃一里塚への分岐点である事など知らなかった。
これも立場跡説明を読んで分った。3年半前に整備されていた。
境木地蔵尊前交差点で左折、旧東海道 品濃一里塚へ 境木地蔵尊前交差点で左折、旧東海道 品濃一里塚へ 

東戸塚駅には道を直進する。4年前は東戸塚駅に直行した。
旧東海道を南下 旧東海道を南下 
旧東海道 品濃一里塚 旧東海道 品濃一里塚 

道はどんどん細くなり、1車線ほどになった所に品濃(しなの)一里塚がある。地図では細道のため表示されず、大まかな位置しか分らない。境木地蔵尊の案内板がなければ道に迷ったか、と不安になる所である。
旧東海道 品濃一里塚 旧東海道 品濃一里塚 

一里塚の片方だけが残っているのはよくあるが、品濃一里塚は道の両側にある。
旧東海道 品濃一里塚 旧東海道 品濃一里塚 

これは道の右側(西側)にある説明板である。

ここ品濃の一里塚は、日本橋から九番目の一里塚で、保土ヶ谷宿と戸塚宿の間に位置しています。旧東海道をはさんでほば東西に二つの塚があり、地元では一里山と呼ばれていました。東の塚は平戸村内に、西の塚は品濃村内に位置し、西の塚にはエノキが植えられていたようです。
  このように、今でも道の両側の塚がともにほぼ当時の形で残っている所は、神奈川県内でもこの一里塚だけであり、昭和四十一年には県の史跡に指定されました。
旧東海道 品濃一里塚 旧東海道 品濃一里塚 

これは道の左側(東側)にある説明板である。

旧東海道の一里塚で江戸日本橋から9ツ目カM59ヽlノ目、街道の付属施設として道の両側にあったもので、旅人の休息やかご賃計算の目安となつた。
旧東海道 品濃一里塚 旧東海道 品濃一里塚 
東戸塚 オーロラシティ 東戸塚 オーロラシティ 

東側を南北に走る環状2号線沿いにダイエー、西に向って順にオーロラシティ、西武、東戸塚駅となる。西に向ってかなりの坂になっており、ダイエーの低層階が西武の高層階になっている。
東戸塚 オーロラシティ 東戸塚 オーロラシティ 
JR 東戸塚駅 JR 東戸塚駅 

当初は戸塚まで歩く予定だったが、9月下旬(平成19年 9月22日)にもかかわらず、32℃という猛暑であり、東戸塚で終了した。

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