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みなとみらい 満開のサクラ並木の汽車道
みなとみらい大通りの日本丸交差点の左にある。以前は横浜ワールドポーターズの案内はなかったが、新設されたため右の汽車道の案内柱がかすんでしまう。
汽車道は、桜木町駅前から横浜ワールドポーターズ横のナビオス横浜に続く道で、新港地区までの汽車の軌道を整備したものである。 |
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みなとみらい 満開のサクラ並木の汽車道 大岡川(運河)、みなとみらい |
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みなとみらい 満開のサクラ並木の汽車道 港一号橋梁
この橋は、明治42年(1909)に鉄道院によって架設されました。2連の30フィート鈑桁橋と100フィートの鋼プラット・トラス橋(クーパー型トラス橋)からなっています。100フィートのトラス橋は、明治40年(1907)にアメリカン・ブリッジ・カンパニーで製作され、港二号橋梁と同形のものです。 |
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みなとみらい 満開のサクラ並木の汽車道 まだ蕾だらけの木
時々ほとんど花がない木があるが、まだ蕾だらけの木である。 |
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みなとみらい 満開のサクラ並木の汽車道 大岡川(運河)、みなとみらい |
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みなとみらい 満開のサクラ並木の汽車道
大岡川(運河)沿いに歩くが、有名なサクラ並木は横浜ワールドポーターズ手前からである。 |
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みなとみらい 満開のサクラ並木の汽車道 港二号橋梁
この橋は、明治40年(1907)にアメリカン・ブリッジ・カンパ二−で製作され、明治42年(1909)に架設された100フィートの複線トラス橋です。重量機関車の出現により、それまでのイギリス系トラス橋にとってかわり、明治30年代から主流となったアメリカ系トラス橋の遺構として貴重なものです。 |
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みなとみらい 満開のサクラ並木の汽車道 港二号橋梁 |
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みなとみらい 満開のサクラ並木の汽車道
汽車道の奥に凱旋門のようなナビオス横浜がある。 |
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みなとみらい 満開のサクラ並木の汽車道 |
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みなとみらい 満開のサクラ並木の汽車道 港三号橋梁(旧大岡川橋梁)
大岡川橋梁は北海道の夕振川橋梁(明治39年(1906)架設)と総武鉄道江戸川橋梁(明治40年(1907)製作)を転用し、3連の100フィート・ポニー形ワーレン・トラス橋として、昭和3年(1928)に旧生糸検査所引込線に架設されました。この橋は、そのうちの旧夕張川橋梁の橋長を短縮し、平成9年(1997)に移設したもので、イギリス系トラス橋の遺構として貴重なものです。 |
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みなとみらい 満開のサクラ並木の汽車道 港三号橋梁(旧大岡川橋梁) |
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みなとみらい 汽車道 港三号橋梁横の中華街行きの水上バス桟橋 |
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みなとみらい 汽車道 横浜ワールドポーターズ |
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みなとみらい 満開のサクラ並木の汽車道 ナビオス横浜 |
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みなとみらい 汽車道 ナビオス横浜
汽車道の終点であるが、あたかも凱旋門のようなゲートになっている。 |
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みなとみらい 汽車道 横浜ワールドポーターズ |
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みなとみらい ナビオス横浜の先は万国橋通り 万国橋交差点 |
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みなとみらい ナビオス横浜 大錨
この錨は、(株)アイ・エイチ・アイ・アムテック横浜工場の寄贈によるもので、石川島播磨重工業(株)横浜工場で1971年に建造され中近東から日本へ原油を運搬した大型原油輸送船高岡丸(全長316m、幅50m、深さ25.5m、載貨重量215.850KT)に備え付けられられていたものと同型のものです。 錨の重量は18.27KTで長さは4.8m、幅2.9mあります。 |
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みなとみらい ナビオス横浜 大錨 |
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みなとみらい 万国橋通り 万国橋交差点
ナビオス横浜のゲートをくぐり抜けると万国橋交差点である。
交差点を渡って右手に4年前に開催された横浜開国博の「はじまりの森」会場があった。会場では巨大生物アートの「ラ・マシン 巨大蜘蛛」の演技が行われ、評判だった。
開国博そのものは大失敗に終わり、会期中に当時の市長の中田宏は理由不詳で突然辞任し、責任逃れをした。3無(無能、無責任、無節操)の民主党出身で、その後日本維新の会から衆院議員となった。 |