小田原城散策


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小田原城 北入口 小田原城 北入口 

当初予定では北入口から入り、正面入口から出てお堀端道路を経て小田原駅に戻る予定だった。しかし、正面入口が工事をしており、閉鎖されていたので、北入口から出て小田原駅東口に向かった。
小田原城案内図 小田原城案内図 
小田原城 説明板 小田原城 説明板 

戦国天名北条氏の本城である小田原城は、当時としては全国屈指の雄大な規模を誇っていたことで知られています。
 豊臣秀吉が天正十八年(一五九〇)に小田原城を攻めた時には、小田原城本体のさらに外側に全周約9kmもある大外郭を設けて城下町をも包み込み、城と城下町の守りを固めて秀吉を迎え撃ちました。これは「総構」などと呼ばれています。
 江戸時代になると、小田原城は範囲を縮小され、天守がそびえる石垣の城として生まれ変わりました。
小田原城 天守閣 小田原城 天守閣 
小田原城 天守閣 小田原城 天守閣 
小田原城 天守閣 小田原城 天守閣 
小田原城 天守閣 小田原城 天守閣 

天守閣は、城の象徴として本丸に構えられたものである。寛永11年(1634)には、三代将軍徳川家光が小田原城の天守閣に登り、武具を見たり展望を楽しんだという記録が残っている。
 元禄16年(1703)の大地震のときには、小田原城のほとんどの建物が倒壊・焼失してしまうが、天守閣は宝永3年(1706)に再建され、明治3年(1870)の廃城まで小田原のシンボルとしてそびえていた。
小田原城 天守閣からの風景 小田原城 天守閣からの風景 

本丸広場で、正面右の白い建物は併設されている動物園の象舎で、象が1頭柵内を歩き回っている。
小田原城 天守閣からの風景 小田原城 天守閣からの風景 

小田原駅方向で、中央の端は、北入口近くの青橋である。
小田原城 天守閣からの風景 小田原城 天守閣からの風景 

相模湾の青、秋空の青、森の緑のバランスが素晴らしい。
小田原城 天守閣からの風景 小田原城 天守閣からの風景 

小田原駅風景で、H字型をしており、長い両辺がJR(左が新幹線、右は在来線)、中央が小田急である。
小田原城 天守閣からの風景 小田原城 天守閣からの風景 
小田原城 天守閣からの風景 小田原城 天守閣からの風景 

写真では矢印の先の大島は薄くてよく見えないが、肉眼ではくっきりとしており、しかも大きく、一目で大島と分る。
小田原城 天守閣からの風景 小田原城 天守閣からの風景 

伊豆半島であるが、小田原は伊豆に近い、と実感させられる。
小田原城 天守閣からの風景 小田原城 天守閣からの風景 

豊臣秀吉の小田原攻めで有名な一夜城(石垣山)であるが、たぶん手前の山なのだろう、としか分らない。一夜城は小田原駅の一つ先のJR早川駅から徒歩40分である。
小田原城 天守閣からの風景 小田原城 天守閣からの風景 
小田原城 小田原城 本丸広場 小田原城 小田原城 本丸広場 
小田原城 常盤木門 小田原城 常盤木門  

小田原械本丸の正門で、最も大きく堅固に造られていた。常盤木、とは常緑樹の意味で、門のそばにあっだ松になぞらえてこの名かつけられたと言われている。
小田原城 常盤木門 小田原城 常盤木門  
小田原城 常盤木門 小田原城 常盤木門  
小田原城 ビャクシン 小田原城 ビャクシン  

ビャクシンは主として本州、四国、九州の海岸地帯に自生しており、庭園や社寺境内などにも植栽されている常緑樹です。
小田原城 ビャクシン 小田原城 ビャクシン  
小田原城 銅門(あかがねもん) 小田原城 銅門(あかがねもん) 

天守閣に通じる登城ルート上に設けられた二の丸の表門。扉の飾り金具に銅を使用していたことから、その呼び名がついたと言われている。当時の工法により平成9年(1997)に復原。
小田原城 銅門(あかがねもん) 小田原城 銅門(あかがねもん) 
小田原城 銅門(あかがねもん) 小田原城 銅門(あかがねもん) 
小田原城 住吉橋 小田原城 住吉橋 

本来はこの近くの正面入口から出て、お堀端道路を経て小田原駅に戻る予定だった。工事中で閉鎖との立て看板があり、同じ所を戻った。
小田原城 本丸東堀跡 小田原城 本丸東堀跡 
小田原城 本丸東堀跡 小田原城 本丸東堀跡 

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小田原駅〜小田原城〜小田原駅