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伊勢佐木町6丁目交差点〜イセザキモール〜伊勢佐木町入口交差点

【関連サイト】   新春の横浜散策H190105(横浜 伊勢佐木町)
新春の横浜散策H190105

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伊勢佐木町商店街(6丁目) 伊勢佐木町6丁目交差点のモニュメント 伊勢佐木町商店街(6丁目) 伊勢佐木町6丁目交差点のモニュメント 
伊勢佐木町商店街(6丁目) 風景 伊勢佐木町商店街(6丁目) 風景 

迎春の幟が飾られている程度である。
伊勢佐木町商店街(6丁目) 風景 伊勢佐木町商店街(6丁目) 風景 

派手な外観のパチンコ屋である。
伊勢佐木町商店街(5丁目) 風景 伊勢佐木町商店街(5丁目) 風景 
伊勢佐木町商店街(5丁目) 街路を飾るモニュメント 伊勢佐木町商店街(5丁目) 街路を飾るモニュメント 
伊勢佐木町商店街(4丁目) 伊勢佐木町ブルース記念碑 伊勢佐木町商店街(4丁目) 伊勢佐木町ブルース記念碑 

伊勢佐木町といえば、青江三奈の伊勢佐木町ブルースである。4丁目の駐車場に大きな絵が飾られ、その脇に伊勢佐木町ブルースの歌碑がある。

残念ながら朝から酔っ払っているホームレスが台座を枕に寝ており、近寄れなかった。
伊勢佐木町商店街(4丁目) 4丁目と3丁目との境の交差点を渡る 伊勢佐木町商店街(4丁目) 4丁目と3丁目との境の交差点を渡る 
伊勢佐木町商店街(3丁目) スーパーピアゴ 伊勢佐木町商店街(3丁目) スーパーピアゴ 
伊勢佐木町商店街(3丁目) 伊勢佐木町3丁目交差点で横浜駅根岸道路(市道80号)を渡り、イセザキモール(2丁目)へ 伊勢佐木町商店街(3丁目) 伊勢佐木町3丁目交差点で横浜駅根岸道路(市道80号)を渡り、イセザキモール(2丁目)へ 

ここからはイセザキモールと言い、街の雰囲気が変わり、繁華街らしくなる。

左折し横浜駅根岸道路(市道80号)を進むと、野毛大通りの日ノ出町交差点に着く。
イセザキモール(2丁目) 風景 イセザキモール(2丁目) 風景 
イセザキモール(2丁目) エクセル伊勢佐木 イセザキモール(2丁目) エクセル伊勢佐木 

左の立派なビルは日本競馬会のエクセル伊勢佐木で、城外馬券発売所でもある。
イセザキモール(2丁目) 年越しそば販売店 イセザキモール(2丁目) 年越しそば販売店 
イセザキモール(1丁目)  旧横浜松坂屋 イセザキモール(1丁目)  旧横浜松坂屋 

元々は野沢屋呉服店と言い、後に松坂屋グループに入った横浜松坂屋は、3年前(平成20年)10月に閉店となった。
イセザキモール(1丁目)  旧横浜松坂屋 イセザキモール(1丁目) 旧横浜松坂屋 

人気デュオ「ゆず」が店の前で路上ライブ活動をしていたことでも有名で、平成15年の紅白歌合戦の模様が掲示されている。
イセザキモール(1丁目) 旧カレーミュージアム イセザキモール(1丁目) 旧カレーミュージアム 

横浜カレーミュージアムは、旧横浜松坂屋の斜め向かいにあり派手な外壁で有名だったが、平成19年3月に閉鎖された。ゲームセンターなどになっていたが、平凡な白い外壁でインパクトはまるでない。
イセザキモール(1丁目) 伊勢佐木町入口交差点のモニュメント イセザキモール(1丁目) 伊勢佐木町入口交差点のモニュメント 
伊勢佐木町入口交差点 吉田橋関門跡 伊勢佐木町入口交差点 吉田橋関門跡 

安政六年(一八五九)六月二日、横浜が開港となって交易、貿易港として栄えるにしたがい、幕府は、開港場の施設の充実にあたり、陸路である東海道からの横浜路を開設するとともに、当時、伊勢山下から都橋付近まで入海であったことから木橋を設け、その後、本橋が吉田新田から架橋されたことより「吉田橋」と呼ばれました。
 吉田橋が設置されてからは、当地は交通の中心地となり、その治安を図るため橋のたもとに関門を設け、武士や町人の出入りを取り締まりました。
 関門は、当初港町側に設けられましたが、文久四年(一八六四)二月に吉田町側に移設されました。
 関内、関外と言う呼び名はこのとき以来で、関内は馬車道側、関外は伊勢佐木町側を指し、その関門は明治四年に廃止されました。
伊勢佐木町入口交差点 吉田橋関門跡 伊勢佐木町入口交差点 吉田橋関門跡 

関門の謂れなどが書かれていたのだろうが、文字の部分だけ白くなっていて解読不可能である。
JR 根岸線関内駅手前のガード下を進む JR 根岸線関内駅手前のガード下を進む 
「鉄の橋」 吉田橋 「鉄の橋」 吉田橋 

JR 根岸線関内駅手前のガード下にある。

明治2年(1869年)、英国人土木技師R.H.ブラントン(RICHARD HENRY BRUNTON 1841〜1901)により架け替えられた吉田橋は、橋長24m、幅員6mの日本最初のトラス鉄橋であり、「鉄の橋」として市民に親しまれるとともに、文明開化のシンボルとして錦絵に描かれるなど大変人気を集めました、現在の高欄は「鉄の橋」をイメージして復元したものです。

ブラントンは日本大通りの設計など多くの足跡を残し、横浜公園前に胸像がある。



 
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