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上野東照宮(唐門〜表参道〜大石鳥居)

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上野公園散策H250308(上野公園(上野動物園〜大噴水前広場〜上野東照宮))

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上野公園 上野東照宮 ぼたん苑出口前 表参道 水舎、銅燈籠 上野公園 上野東照宮 ぼたん苑出口前 表参道 水舎、銅燈籠 

ぼたん苑出口を出ると表参道の水舎前である。
上野公園 上野東照宮 表参道 銅燈籠 上野公園 上野東照宮 表参道 銅燈籠 

寄進者名に伊賀少将藤堂高虎などの名前が刻まれた銅燈籠がある。
上野公園 上野東照宮 表参道 唐門 上野公園 上野東照宮 表参道 唐門 
上野公園 上野東照宮 表参道 銅燈籠 上野公園 上野東照宮 表参道 銅燈籠 

銅燈籠

東照宮社殿唐門前と参道に、五十基の銅燈籠が並んでいる。燈籠は神事・法会を執行する時の浄火を目的とするもの。照明用具ではない浄火は神事・仏事に使う清めた火。燈籠は上部から、宝珠・笠・火袋・中台・竿・基壇で構成されている。火袋は、八角・六角・四角などの形式に分かれ、各面には火口・円窓という窓を設けている。火袋下部の長い部分を竿といい、ここに銘文を刻むことが多い。
 これら銅燈籠は、諸国の大名が東照大権現霊前に奉納したもの。竿の部分には 寄進した大名の姓名と官職名・奉納年月日等が刻字されている。それによると、伊勢国(現三重県)津藩主藤堂高虎奉献の寛永五年(一六二八)銘一基をはじめ、慶安四年(一六五一)正月十七日奉献二基、同年四月十七日奉献四十五基、同五年孟夏十七日奉献二基となっている。慶安四年四月十七日は東照宮社殿落慶の日。その日の奉献数が最も多い。これら銅灯籠は、東照宮社殿とともに一括して、国の重要文化財に指定されている。
上野公園 上野東照宮 表参道 銅燈籠 上野公園 上野東照宮 表参道 銅燈籠 
上野公園 上野東照宮 境内案内図 上野公園 上野東照宮 境内案内図 
上野公園 上野東照宮から見た寛永寺五重塔 上野公園 上野東照宮から見た寛永寺五重塔 
上野公園 上野東照宮 東照宮略記 上野公園 上野東照宮 東照宮略記 
上野公園 上野東照宮 東照宮略記 上野公園 上野東照宮 東照宮略記 

祭神 徳川家康・徳川吉宗・徳川慶喜

縁起 元和二年二月見舞いのため駿府城にいた藤堂
   高虎と天海僧正は危篤の家康公の病床に招かれ
   三人一処に末永く魂鎮まるところを造って欲しいと
   遺言された。そこで高虎の家屋敷であるこの上野
   の山に寛永四年(一六二七年)に本宮を造営した。
   その後将軍家光はこの建物に満足出
   来ず慶安四年現在の社殿を造営
   替えし、江戸の象徴とした。

文化財 以下略
 上野公園 上野東照宮 上野公園 上野東照宮 

上野東照宮(国指定重要文化財)

 藤堂高虎(一五五六〜一六三〇)は上野山内の屋敷の中に、徳川家康を追慕し、家康を祭神とする宮祠を造った。これが上野東照宮の創建といわれている。あるいは寛永四年(一六二七)、宮祠を造営したのが創建ともいう。もとは「東照社」と称していたが、正保二年(一六四五)に宮号宣下があり、それ以後家康を祭る神社を東照宮と呼ぶようになった。
 現在の社殿は、慶安四年(一六五一)、三代将軍家光が大規模に造り替えたもので、数度の修理を経ているが、ほぼ当初の姿を今に伝える。社殿の構造は、手前より拝殿、幣殿、本殿からなり、その様式を権現造りという。礼殿は都内でも代表的な江戸時代初期の権現造りで、華麗荘厳を極めている。
 唐門、透塀は社殿とともに構造、様式が優れており貴重であることから、参道入口の石造明神鳥居、唐門前に並ぶ銅燈籠四十八基と合わせて国の重要文化財に指定されている。
上野公園 上野東照宮から見た寛永寺五重塔 上野公園 上野東照宮から見た寛永寺五重塔 
上野公園 上野東照宮から見た寛永寺五重塔 上野公園 上野東照宮から見た寛永寺五重塔 

旧東叡山寛永寺五重塔(旧東照宮五重塔)

寛永八年(1631年)土井利勝により上野東照宮(寛永四年(1627年)創建)の一部として五重塔が建立、寄進されました。寛永十六年(1639年)火災により焼失、甲良宗広らにより同年再建されたのが現存する五重塔です。以前この場所には五重塔への参道がありました。ですから五重塔の正面は今ご覧になっている面です。
明治時代に神仏分離令が発令され、五重塔は仏教施設であることから全国の神社所有の五重塔は多くが破壊されました。当宮の五重塔も取り壊しの対象となりましたが、美しい姿を何としてでも残したいと考えた当時の宮司は熟慮を重ね、五重塔を手放すこととし塔は寛永寺の所属であると国に申し出ました。東照宮五重塔は寛永寺五重塔と名前を変えましたが、その機転により取り壊しは免れました。
寛永寺の所属となったものの、寺からは距離があり管理が難しいことから昭和三十三年(1958年)東京都に寄付されました。現在は動物園の敷地内にございます。
塔の高さは約32m、江戸時代の多くの五重塔が初層から第4層までを和風、最上層のみを唐様風とするのに対し、この塔は全層が和風様式です。
建物内部には心柱が塔の土台の上にしっかりと建てられ、塔の頂上にある青銅製の相輪まで貫いています。心柱が釣られた懸垂式と呼ばれる建築構造が江戸時代の五重塔に多く見られるのに対し、この塔は土台にしっかりと建てられた桃山時代建築の五重塔に良く見られる構造で建てられています。
屋根は初層から第4層が本瓦葺、最上層は銅瓦葺を使用しています。
初層上方には十二支の彫刻が、各層の軒下の角隅部には四頭ずつ龍の彫刻が配されています。
関東大震災でも倒壊せず戊辰戦争や第二次大戦でも焼失を免れた、江戸初期の建築様式を伝える優れた建築の一つとして明治四十四年(1911年)国の重要文化財に指定されました。
以前、塔の初層内部には心柱を大日如来に見たて、それを中心にして東寺大仏師職法眼康猶の作と伝えられる弥勒・薬師・釈迦・阿弥陀の4体の仏像が安置されていました。第二次大戦中、五重塔は管理が行き届かず扉は壊れた状態でした。その内部に仏像が置かれたままになっているのを発見した当時の宮司は、仏像の破損や盗難を防ぐため、急いで東照宮境内に四体を引き取って大切にお守りし、戦後寛永寺にお返ししました。現在 この四体の仏像は東京国立博物館に寄託されています。
上野公園 上野東照宮 表参道から見たぼたん苑 上野公園 上野東照宮 表参道から見たぼたん苑 
 上野公園 上野東照宮 表参道 上野公園 上野東照宮 表参道 
上野公園 上野東照宮 表参道 水舎門 上野公園 上野東照宮 表参道 水舎門 

水舎門の手前右にぼたん苑の券売所がある。
上野公園 上野東照宮 大石鳥居 上野公園 上野東照宮 大石鳥居 
上野公園 上野東照宮から左折、さくら通りへ 上野公園 上野東照宮から左折、さくら通りへ 



 
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