田町〜慶應大学〜綱坂
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JR 田町駅 三田口(西口) | |
JR 三田駅 三田口界隈 右手の白いビルは、NEC本社、駅に隣接し写真を撮っている所のすぐ右手が森永製菓の本社である。中央茶色のビルと、左のCDの看板の間の路地が慶應通り振興会である。 |
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慶應通り振興会 | |
慶應通り振興会 値段が手ごろな店が多く、昼食時や、夜にはサラリーマンでごった返す。 |
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慶應通り振興会を出て慶應大学正門を望む。 三叉路になっており、中央左手の白いビルの方向に正門がある。桜田通り(国道1号線)は、白いビルの方向から左折、右手に向う。 |
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桜田通り風景 慶應大学の東門手前の風景である。 |
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慶應大学 三田キャンパス 東門 早稲田大学と言うと、大隈講堂と大隈侯銅像と言うように、慶應大学のシンボルの一つである。 慶應大学三田キャンパスはこのサイトに別掲し、日吉キャンパスなどは大学点描としてまとめてある。 |
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慶應大学東門に隣接する和菓子店 名門校によくある話で、手作り最中の「学問のすすめ」を売っている。 |
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三田鎮守 春日神社 東門に隣接し、1,000年以上前に春日大社より勧請した三田の鎮守である。 子供の頃、秋のお祭の時に祖父母が住み、生まれた所でもあった芝豊岡町に行くと、当時貴重だった森永のお菓子セットがもらえた。そのため、お菓子は森永が一番、と長く思っていた。同じ理由で小倉生まれの妻は明治ファンである。 |
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三田鎮守 春日神社 | |
三田鎮守 春日神社 左は慶應大学の東館である。東門は東館の一部である。 |
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桜田通り 三田国際ビル このビルの手前で左折し、綱の手引き坂に向う。 |
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綱の手引き坂 大江山の鬼退治で有名な源頼光の四天王の一人、渡辺綱にまつわる名称である。姥坂とも言う。この近くに後で行く綱坂があるが、これは渡辺綱が生まれた所に因む。 |
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綱の手引き坂 周辺案内図 左上の赤い四角が現在地で、右手に向う線が手引き坂、突き当りに三井クラブがあり、左折して上に向う線が綱坂である。 |
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綱の手引き坂 | |
綱の手引き坂 | |
名門 都立三田高校(旧制三田高女) 前身は大正12年(1923年)に誕生した府立第6高等女学校である。ちなみに吉永小百合が在学した駒場高校は、明治35年(1902年)に創立された第3高女で、第1高女は明治21年(1988年)の白鴎高女である。 |
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綱町三田倶楽部 綱の手引き坂を登った所にあり、三井財閥の迎賓館である。直進して坂を下ると、オーストラリア大使館を経て麻布十番の二の橋に出る。左折すると綱坂沿いに三井倶楽部の塀が続く。 |
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綱町三田倶楽部 | |
綱町三田倶楽部 | |
綱坂 大江山の鬼退治で有名な源頼光の四天王の一人、渡辺綱が付近で生まれたと言われる。 綱坂の右に綱町三井倶楽部、左にイタリア大使館がある。坂を下った所の右手に慶應義塾中等部、慶応義塾女子高校があり、左手は慶應大学がある。イタリア大使館内に赤穂義士の大石力切腹の場がある、と案内板にあったが、入れるはずも無い。 |
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綱坂 祖父母が住み、生まれ育った芝豊岡町に近いので当然綱坂は知っていたが、大江山の渡辺綱に因むとは知らなかった。 |
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慶応義塾 中等部 慶應大学付属中学である。小学校は学習院のように初等部とは言わず、幼稚舎と言う。ちなみに早稲田の本来の系列校は早稲田高等学院だけであり、早稲田と言う土地にある早稲田実業や早稲田高校は無関係だった。早稲田予備校が早稲田大学に無関係なようにである。後に、これらの学校の経営支援などの事情で系列校扱いになった。 |