大崎駅〜東海寺(東海禅寺)〜京急新馬場駅
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JR 山手線 大崎駅 かっては山手線だけのうら寂れた駅だったが、ゲートシティ大崎が東側に出来、埼京線が乗り入れて新木場までのりんかい線と接続した上、湘南新宿ラインの分岐点になるなど急速に発展した。 |
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「画龍点睛」?! ゲートシティ大崎の完成を記す品川区長名の碑である。 「画龍点睛」とは、「画龍点睛を欠く」と使われ、最後の詰めに欠けるの意味である。完成記念で書かれる意味が分からない。 |
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GateCity OHSAKI | |
GateCity OHSAKI | |
大崎駅前を通る山手通りを東進。 | |
居木橋交差点 左中央の二本の木の間の道が御殿山通りで、御殿山ヒルズを経て、八ツ山橋に続く。 |
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製薬会社の三共 研究開発センター | |
東海寺(東海禅寺) 大山墓地入口 もう少し進み、京浜東北線に沿った三共との間の細い道を品川方向に進む。この表示がないと見つけられないほどの細道である。 |
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史蹟 官営品川硝子製作所跡 東海禅寺大山墓地に入る細道の脇にあり、反対側に墓地にある墓の案内がある。 日本における近代ガラス工業発展のもとになったのは、明治六年(一八七三)に東海寺境内に創設された興業社である。興業社は、明治九年(一八七六)に工部省に買収されて官営品川硝子製造所となり、全国のガラス工業の発展に貢献した。 |
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史蹟 官営品川硝子製作所跡 | |
東海寺(東海禅寺) 大山墓地入口 東海寺(東海禅寺)は京浜東北線のガードをくぐり、数百メートル行くとある。かなり離れており、しかも東海禅寺そのものも大きな境内ではなく、何度行っても沢庵和尚の墓らしきものもなく、やっと見つけた、と言う気持ちである。 |
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東海寺(東海禅寺) 大山墓地 沢庵禅師墓の碑 細道を行くと正面に民家があり、その脇に「東海寺開山 沢庵禅師墓」の碑がある。この階段の上に墓所がある。 |
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東海寺(東海禅寺) 大山墓地 利休居士追遠塔 | |
東海寺(東海禅寺) 大山墓地 沢庵禅師之墓 門が閉まっており、入ることは出来なかった。 江戸時代初期の禅僧で名は宗彭、沢庵は号。但馬国に生まれ、慶長十四年(1609年)大徳寺の住持となるも、寛永六年(1629年)幕府の忌諱(紫衣事件)に触れることがあって出羽国に追放された。四年後に許され、その後は第三代将軍徳川家光に重用され、寛永十六年(1639年)江戸品川東海禅寺を開山、正保二年(1645年)に没した。その創案と言われる大根の香づけは沢庵の名で伝えられる。 |
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東海寺(東海禅寺) 大山墓地 沢庵禅師之墓 | |
東海寺(東海禅寺) 大山墓地 沢庵禅師之墓 | |
東海寺(東海禅寺) 大山墓地 加茂真淵墓 | |
東海寺(東海禅寺) 大山墓地 加茂真淵墓 | |
東海寺(東海禅寺) 大山墓地から数百メートル東に離れた所にあり、京急新馬場駅に近い。ここにも大山墓地の案内板があり、沢庵禅師や加茂真淵の墓が書かれている。しかし、実物が京浜東北線沿線の他にあるとは思わず、何度も墓を探したが、それらしき物はなかった。 |
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東海寺(東海禅寺)は第一京浜間近 | |
山手通りを歩き、第一京浜を渡る。 |