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高輪三丁目交差点〜高輪消防署二本榎出張所〜高野山東京別院

【関連サイト】   山手線五反田駅開業100周年記念ウォーク 山手七福神H231015(高輪二丁目交差点〜明治学院前交差点〜五反田駅)
港区 ちぃばす 高輪ルート(バス停新設)H230927(高輪警察署前〜高輪三丁目〜品川駅前交差点)

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高輪歩道橋先で左折、第一京浜を北上 高輪歩道橋先で左折、第一京浜を北上 

東禅寺から高輪公園を経て第一京浜に出る。右折すると品川駅に出る。
 第一京浜を北上 NTTドコモ品川ビル 第一京浜を北上 NTTドコモ品川ビル 

品川駅の港南口のJR線路沿いの北側にはNTT品川ツインズやNTTドコモ品川ビルなどが建ち並ぶ。NTTドコモ品川ビルはその外観から奴凧とか、ロボット戦士とも言う人がいる。
第一京浜 高輪二丁目交差点で左折、桂坂を上る 第一京浜 高輪二丁目交差点で左折、桂坂を上る 
第一京浜 高輪二丁目交差点 旧町名由来 「高輪」 第一京浜 高輪二丁目交差点 旧町名由来 「高輪」 

 この地は海より眺めて高台の縄手道から「高縄手」と称されていましたが、転じて「高縄」から「高輪」となりました。古くから海沿いに人家が点在していましたが、江戸初期に幕府が参勤交代のために東海道を整備し、これにより街道沿いに町が広がつていきました。
 この地域には、高輪大木戸・願生寺・泉岳寺・東禅寺など多くの名跡があります。
第一京浜 高輪二丁目交差点 高輪海岸の石垣石 第一京浜 高輪二丁目交差点 高輪海岸の石垣石 

 ここに展示されている石は、江戸時代に、高輪海岸に沿って造られた石垣に用いられたものです。
 平成7年(1995)、高輪二丁目20番の区有施設建設用地内の遺跡の発掘調査で出土しました。
 石垣には、主に相模湾岸から伊豆半島周辺で採石された安山岩が用いられました。
 発掘調査では3段の石積みを確認しましたが、最上段は江戸時代の終わり頃に積みなおされたものと考えられます。正面の小ぶりの石が積み直されたものです。3段目から下の石垣は現地でそのまま保存されています。
第一京浜 高輪二丁目交差点 高輪海岸の石垣石 第一京浜 高輪二丁目交差点 高輪海岸の石垣石 
第一京浜 高輪二丁目交差点 開発が進む品川〜田町間新駅工事 第一京浜 高輪二丁目交差点 開発が進む品川〜田町間新駅工事 
 第一京浜 高輪二丁目交差点 桂坂を上る 第一京浜 高輪二丁目交差点 桂坂を上る 

かつらざか

 むかし蔦葛(つたかずら・桂は当て字)がはびこっていた。かつらをかぶった僧が品川からの帰途急死したからともいう。
 第一京浜 高輪二丁目交差点 桂坂を上る 第一京浜 高輪二丁目交差点 桂坂を上る 
 桂坂を上り西進 桂坂を上り西進 
 桂坂を上り西進 桂坂を上り西進 

右手奥に高輪警察署前交差点の高輪消防署二本榎出張所の望楼に据えられた青に塗り替えられた避雷針が見える。
高輪警察署前交差点 高輪警察署 高輪警察署前交差点 高輪警察署 

直進して二本榎通りを渡って坂を下ると桜田通りの明治学院前交差点に出る。
高輪警察署前交差点 高輪消防署二本榎出張所 高輪警察署前交差点 高輪消防署二本榎出張所 
高輪警察署前交差点 高輪消防署二本榎出張所 高輪警察署前交差点 高輪消防署二本榎出張所 

 明治41年7月1日、第二消防署二本榎派出所として発足、昭和8年12月28日に現庁舎が竣工した。
 建物は、鉄筋コンクリート造りの地上3階建てで、海抜約25メートルの位置にあり、当時は周囲に高い建物もなく、東京湾を眼下に眺望できた。
 1階の腰壁は御影石(花崗岩)の切り出し積みで、ひさしや窓台は左官洗い出し仕上げとなっている。
また、外壁はクリーム色の磁器タイルで覆われ、玄関部分はすべて御影石で造られており、扉は木製となっている。
 3階の円形講堂は8本の梁(はり)が中心に集り、10個の窓部アーチと一体になった独特の意匠である。
 第一次世界大戦後の近代的なドイツ表現主義という建築様式で、曲線と曲面をモチーフとした流れるような躍動感のあるデザインを特徴としている。
 3階から上は円筒形の望楼(ぼうろう)となっており、昭和46年まで火災の見張りに使用されていた。
高輪警察署前交差点 二本榎の由来 高輪警察署前交差点 二本榎の由来 

その昔、江戸時代に東海道を日本橋からきて品川宿の手前、右側の小高い丘陵地帯を『高縄手』と呼んでいましたが、そこにある寺に大木の榎が二本あって、旅人のよき目標になっていたそうです。
 誰いうとなくこの榎を「二本榎」と呼ぶようになりました。それがそのまま『二本榎』(にほんえのき)という地名になって続き、榎が枯れた後でも地名だけは残りました。
 高輪警察署前交差点 高輪警察署 高輪警察署前交差点 高輪警察署 

高輪警察署に隣接して二本榎通りに高野山東京別院がある。
高輪警察署前交差点 高輪消防署二本榎出張所 高輪警察署前交差点 高輪消防署二本榎出張所 
高輪警察署前交差点 旧町名由来 高輪警察署前交差点 旧町名由来 

高輪

 現在の田町駅周辺から二本榎に続く古道、奥州路の道沿いに広がる地域をいいます。
 この地は東京湾に面した高台で、江戸の町を一望できたといわれています。地名の由来は諸説ありますが、高台の縄手道であるところから「高き縄手」の略で、後に高輪と書き改めたといわれています。この道は、江戸開府にともない東海道が整備されるまでは、旅人の往還としての役割を担っていました。東は海、西は寺院や町屋の見られる古くからの片側町でした。
二本榎通り 高野山東京別院 二本榎通り 高野山東京別院 

高輪警察署前交差点で左折、二本榎通りに進み、高輪警察署の隣りにある。
二本榎通り 高野山東京別院 山門 二本榎通り 高野山東京別院 山門 

弘法大師を御本尊とする高野山東京別院は、徳川幕府が開かれた際、高野山学侶方の江戸在番所の寺として、浅草の日輪寺に寄留して開創されました。その後、延宝元年に「高野山江戸在番所高野寺」として、正式に建立されます。現在の別院建物は、弘法大師1150年御遠忌記念事業として計画され、昭和63年に本堂が建立されました。
仏さまと人、人と人を結ぶ「高輪結び大師」の縁起があります。
二本榎通り 高野山東京別院 二本榎通り 高野山東京別院 
二本榎通り 高野山東京別院 四国八十八ヶ所のお砂踏み場 二本榎通り 高野山東京別院 四国八十八ヶ所のお砂踏み場 

阿波国(徳島)、讃岐国(香川)、伊予国(愛媛)、土佐国(高知)とエリアに区切られ、お札の番号順に八十八ヶ所のお地蔵様が整然と並んでいます。
佇まいがそれぞれ違う八十八のお地蔵さんが並んでいる姿には、きっと癒されるでしょう。
ここを歩きながらお参りすることで、四国八十八ヶ所のお寺を巡拝したのと同じ功徳をいただける、とされています。
二本榎通り 高野山東京別院 四国八十八ヶ所のお砂踏み場 二本榎通り 高野山東京別院 四国八十八ヶ所のお砂踏み場 

それぞれの国ごとに分かれており、写真は讃岐国(香川県)で、地図に寺の位置が示されている。
二本榎通り 高野山東京別院 四国八十八ヶ所のお砂踏み場 二本榎通り 高野山東京別院 四国八十八ヶ所のお砂踏み場 
 二本榎通り 高野山東京別院 明神社 二本榎通り 高野山東京別院 明神社 
二本榎通り 高野山東京別院 遍照院 二本榎通り 高野山東京別院 遍照院 
二本榎通り 高野山東京別院 遍照院前 熱中症計は危険 二本榎通り 高野山東京別院 遍照院前 熱中症計は危険 

現在時刻は11:10で、温度31.5℃、湿度45%、熱中症計は危険である。
二本榎通り 高野山東京別院 遍照院 お大師さま(遍照金剛)像 二本榎通り 高野山東京別院 遍照院 お大師さま(遍照金剛)像 
 高野山東京別院 山門を出て右折、二本榎通りを北上 高野山東京別院 山門を出て右折、二本榎通りを北上 



 
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