赤坂〜虎ノ門〜新橋
【関連サイト】 | 港区ちぃバス 赤坂ルート(H161107) | |
有名神社 日枝山王(日枝神社) | ||
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赤坂通り 中之町幼稚園越しに見える東京ミッドタウン・タワー | |
赤坂通り 港区コミュニティバス ちぃばす(赤坂ルート) 赤坂小前 ちぃばす(赤坂ルート)は六本木ヒルズを起点/終点とする巡回バスで、乃木坂から赤坂見附、青山1丁目を経て、再び赤坂通りを走る。 |
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赤坂通り 赤坂小前交差点を直進 ちぃばす(赤坂ルート)は、1回目は直進し、2回目は右折して東京ミッドタウンの檜町公園に向う。 |
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赤坂 三分坂 赤坂5丁目交番前交差点の左手に由緒ありげな寺が見える。三分坂下にある報土寺である。 急坂のため通る車賃は銀三分・百円余増していたという。 坂下の渡し賃が一分に対していったとの説もある。 |
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赤坂 三分坂 | |
赤坂 報土寺 明和四年(一七六七)信州(長野県)小諸在大石村に生まれた。生まれながらにして、壮健、強力であったが、顔容はおだやか、性質も義理がたかったといわれる。 天明四年(一七八四)年寄浦風林右衛門に弟子入リし、寛政二年(一七九〇)から引退までの二十二年間 のうち大関(当時の最高位)の地位を保つこと、三十三場所、二百五十勝十負の大業績をのこした。 雲州(島根県)松江の松平侯の抱え力士であったが引退後も相撲頭に任ぜられている。 文化十一年(一八一四)当寺に鐘を寄附したが異形であったのと寺院鐘楼新造の禁令にふれて取りこわさせられた。 文政八年(一八二五)江戸で没した。 |
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赤坂 報土寺 雷電為右衛門の墓 | |
赤坂 報土寺 梵鐘 | |
赤坂 報土寺 梵鐘 報土寺の梵鐘は、文化十一年(一八一四)三月に雷電為右衛門が寄進したものが有名です。 竜頭の部分は雷電と小野川が四っに組んた姿、側面に雷電の姿を鋳出し、その臍に撞木があたるようにしたり、鐘の下縁は十六俵の土俵をめぐらすなど極めて異形てあったため、寺社奉行によって直ちに没収されました。現在の鐘は、明治四一年(一九〇八)に鋳造されたもので、雷電の鐘に刻まれていた銘と同文のものを刻んでいます。 |
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赤坂 報土寺 梵鐘 | |
赤坂通り 赤坂5丁目交番前 報土寺から戻り、左折して赤坂通りを進む。 |
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赤坂通り TBS | |
赤坂通り 一ツ木通り TBSから一ツ木通りの一角は、平成17年2月着工、今月(平成20年1月)完成予定の赤坂Bizタワーが建設中である。 |
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山王下交差点で右折、外堀通りへ 赤坂通りを出た正面に日枝山王(日枝神社)の鳥居が見える。 |
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外堀通り 溜池山王 総理大臣官邸 総理大臣官邸を裏側から見ていることになる。左手は山王パークタワーである。 |
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外堀通り 溜池山王 山王パークタワー | |
外堀通りを新橋方面に南下 前方に溜池交差点の首都高の高架が見える。 |
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外堀通り 溜池交差点で六本木通りを渡る | |
外堀通り 溜池交差点 溜池発祥の碑 溜池は江戸時代のはじめ、江戸城の防備を兼かた外堀兼用の上水源として作られ水道の発祥地ともなり、徳川秀忠時代には鯉、鮒を放し蓮を植えて上野の不忍池に匹敵する江戸の名所となった。徳川家光は遊泳したとも伝えられる。 明治八年より埋め立てに着手し四十四年に完成した。 |
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外堀通り 霞が関ビル | |
外堀通り 虎ノ門交差点 | |
外堀通り 西新橋1丁目交差点で愛宕通りを渡る | |
外堀通り 西新橋交差点で日比谷通りを渡る | |
JR新橋駅 SL広場(日比谷口) | |
JR新橋駅 SL広場(日比谷口) | |
JR新橋駅 SL広場(日比谷口) 夜のニュース番組で酔ったおじさんたちの意見を聞く、として使われる場所として有名である。 |