浅草橋〜蔵前〜国際通り 寿四丁目

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つくばエキスプレス


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都営 新宿線 馬喰横山駅 都営 新宿線 馬喰横山駅 

【撮影記録】
平成20年11月17日 曇り時々晴れ
10:50〜13:05 13,300歩(概算 10.6km)
浅草橋〜蔵前〜国際通り浅草六区〜鷲神社〜日光街道 大関横丁交差点〜土手通り〜吉原大門〜吉野通り 江戸六地蔵 東禅寺〜浅草 吾妻橋

始めは晴れ間もあったが、曇りがちで、曇り時々晴れとなった。土曜のTVで鷲神社の酉の市が紹介されていたので、これをメインとし、江戸六地蔵で最後に残っていた東禅寺も撮るコース設定とした。
馬喰町・横山町 繊維問屋街 馬喰町・横山町 繊維問屋街 
馬喰町・横山町 繊維問屋街 馬喰町・横山町 繊維問屋街 

清洲橋通りに出て左折する。
清洲橋通り 馬喰町交差点で右折、江戸通りへ 清洲橋通り 馬喰町交差点で右折、江戸通りへ 
江戸通り 馬喰町・横山町 繊維問屋街 江戸通り 馬喰町・横山町 繊維問屋街 
江戸通り 浅草橋交差点 江戸通り 浅草橋交差点 
江戸通り 浅草橋交差点 江戸通り 浅草橋交差点 

浅草橋交差点は南北に江戸通り、東西に靖国通りが交差する。靖国通りは、この交差点より京葉道路と改称する。
浅草橋交差点から江戸通り下を都営浅草線が走る。
江戸通り 浅草橋南詰 郡代屋敷跡 江戸通り 浅草橋南詰 郡代屋敷跡 

 江戸時代に、主として関東の幕府直轄領の、年貢の徴収・治水・領民紛争の処理などを管理した関東郡代の役宅があった場所です。
 関東郡代は、天正十八年(一五九〇)徳川家康から代官頭に任命された伊奈忠次の二男忠治が、寛永十九年(一六四二)に関東諸代官の統括などを命じられたことにより事実上始まるとされます。元禄年間(一六八八〜一七〇四)には関東郡代という名称が正式に成立し、代々伊奈氏が世襲しました。
 その邸宅は、初め江戸城の常盤橋門内にありましたが、明暦の大火(一六五七)による焼失後、この地に移り、馬喰町郡代屋敷と称されました。
 寛政四年(一七九二)に伊奈忠尊が罪を得て失脚した後は、勘定奉行が関東郡代を兼ねることとなり、この地に居住しました。文化三年(一八〇六)に関東郡代制が廃止され、さらに屋敷が焼失した後には、代官の拝領地となって、馬喰町御用屋敷と改称されましたが、江戸の人々はこの地を永く郡代屋敷と呼んでいました。
江戸通り 神田川に架かる浅草橋 江戸通り 神田川に架かる浅草橋 
江戸通り 神田川に架かる浅草橋 江戸通り 神田川に架かる浅草橋 

浅草橋の下流には柳橋があり、神田川は隅田川に注ぐ。屋形船が多く係留されている。
江戸通り 浅草橋 北詰 旧町名由来 浅草橋 江戸通り 浅草橋 北詰 旧町名由来 浅草橋 

 浅草橋という町は昭和九年(一九三四)に茅町、上平右衛門町、下平右衛門町、福井町、榊町、新須賀町、新福井町、瓦町、須賀町、猿屋町、向柳原町がひとっになってできた。町名は神田川に架けられた橋の名にちなんでいる。
 江戸幕府は、主要交通路の重要な地点に櫓・門・橋などを築き江戸城の警護をした。奥州街道が通るこの地は、浅草観音への道筋にあたることから築かれた門は浅草御門と呼ばれた。また警護の人を配置したことから浅草見附といわれた。
 ここ神田川にはじめて橋がかけられたのは寛永十三年(一六三六)のことである。浅草御門前にあったことから浅草御門橋と呼ぱれたがいつしか「浅草橋」になった
江戸通り 浅草橋 北詰 浅草見附跡 江戸通り 浅草橋 北詰 浅草見附跡 
江戸通り 浅草橋 人形店街 吉徳 江戸通り 浅草橋 人形店街 吉徳 

JR総武線の浅草橋駅界隈は有名な人形店が建ち並ぶ。浅草橋を渡ってすぐに吉徳があり、総武線のガードを過ぎると右手に秀月、久月がある。
江戸通り 浅草橋 人形店街 吉徳 江戸通り 浅草橋 人形店街 吉徳 

来年の干支である丑の置物が並ぶ。
JR総武線、都営浅草線 浅草橋駅 JR総武線、都営浅草線 浅草橋駅 
江戸通り 浅草橋 人形店街 秀月、久月 江戸通り 浅草橋 人形店街 秀月、久月 

一瞬秀月が百円ショップになったのか、と思った。けばけばしい看板や、垂れ幕がビルを覆い、品位を大いに損なっている。
江戸通り 浅草橋 飾り物商店街 江戸通り 浅草橋 飾り物商店街 

駅前は人形店街だが、少し北に行くと飾り物の商店街となる。クリスマスまで1ヶ月以上あるが、飾り物商戦は始まっている。
江戸通り 浅草橋 飾り物商店街 江戸通り 浅草橋 飾り物商店街 
江戸通り 蔵前一丁目交差点 旧町名由来 浅草蔵前 江戸通り 蔵前一丁目交差点 旧町名由来 浅草蔵前 

 本町は、付近の九ヵ町を整理統合して昭和九年(一九三四)にできた。蔵前という町名が初めて付けられたのは元和七年(一六二一)この浅草御蔵前片町である。この付近に徳川幕府の米蔵かあったことから付けられた。
 米蔵は全国に散在した幕府直轄領地から送られた米を収納するため造られた倉庫で三ケ所あった。大阪、京都二条の御蔵とあわせ三御蔵といわれた。その中でも特に浅草御蔵は重要であった。
江戸通り 蔵前一丁目交差点 天文台跡 江戸通り 蔵前一丁目交差点 天文台跡 

この地点から西側、通りを一本隔てた区画には、江戸時代後期に、幕府の天文・暦術・測量・地誌編纂・洋書翻訳などを行う施設として、天文台がおかれていた。天文台は司天台、浅草天文台などと呼ばれ、天明二年(一七八二)、牛込藁店から移転、新築された。
江戸通り 蔵前一丁目交差点で蔵前橋通りを渡る 江戸通り 蔵前一丁目交差点で蔵前橋通りを渡る 

右折すると隅田川に架かる蔵前橋がある。
江戸通り 蔵前二丁目交差点で左折、国際通りへ 江戸通り 蔵前二丁目交差点で左折、国際通りへ 

蔵前二丁目交差点で江戸通りは分岐して右に進み、左側は国際通りとなって三ノ輪に向かう。
国際通り 寿三丁目交差点で春日通りを渡る 国際通り 寿三丁目交差点で春日通りを渡る 

右折すると隅田川に架かる厩橋がある。この交差点を少し進んだ所から国際通りの下をつくばエクスプレスが走る。
国際通り 東西めぐりん 国際通り 東西めぐりん 

台東区のコミュニティバスで三番目に運行された東西めぐりんが横町から出てきた。
国際通り 寿四丁目交差点で浅草通りを渡る 国際通り 寿四丁目交差点で浅草通りを渡る 

交差点の下は銀座線の田原町駅で、左折すると上野、右折すると浅草に向かう。

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浅草 浅草橋〜鷲神社(平成20年二の酉)〜吾妻橋H201117 目次


国際通り 浅草六区〜鷲神社〜日光街道 大関横丁交差点