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突き当りを左折、山手本通りへ
イタリア山庭園から住宅街の小道を歩いて突き当りで左折する。
山手本通りは東のみなとの見える丘公園前から尾根伝いに進み、この交差点から南に進んで横浜駅根岸道路(市道80号)となり、根岸森林公園を経て根岸駅に向かう。 |
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山手本通り 三育幼稚園前交差点 |
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山手本通りを東進 |
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山手本通り 旧横浜山手女子 高校・中学校校舎
以前は横浜山手女子高・中学校で、山手本通りを歩いて行くとフェリス女学院、横浜雙葉学園と伝統あるお嬢様学校が続いていた。
何故中央大学としか表示されていないのか不思議に思い、帰宅後調べたら女子校から男女共学になり、合わせて手狭な校舎を嫌って横浜都筑区の郊外に中大付属横浜高校と改称、移転していた。何故移転するのか、女子校のままでとか、校舎の取り壊しマンション化に反対などとの父兄の声もあり、専用ホームページも作られていた。 |
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山手本通り 山手公園北側交差点
後方にカトリック山手教会の尖塔が見える。 |
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山手本通り カトリック山手教会
カトリック山手教会は文久元年(1862年)に横浜居留地に建てられ、明治39年(1906年)に現在地に移った。現在の建物は、 関東大震災後、昭和8年にチェコ人建築家・スワガーによって設計された。 |
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山手本通り カトリック山手教会
開港後日本最初の聖堂 カトリック山手教会
聖フランシスコ・ザビエルにより日本宣教が始まった1549年の後、厳しいキリシタン弾圧が続いていましたが、幕末の1859年開港時に日本再宣教のため、パリ外国宣教会ジラール神父らが来日しました。1862年横浜居留地80番地(現横浜市中区山下町80)に「横浜天主堂」(聖心聖堂)が献堂されました。(国宝・長崎大浦天主堂が献堂される3年前の事です)。これは、近代日本最初の教会であり、現在のカトリック山手教会の初代聖堂です。
1906年、天主堂付近の市街化により移転を行い、山手町44番地(現教会番地)に双塔を持つゴチック風の威風堂々とした聖堂が献堂されました。しかし、1923年の関東大震災によって崩壊、就任間もない主任司祭ルバルベ神父はその犠牲となりました。
その後、約10年の建設募金活動等を経て、1933年に鐘楼をもったゴチック式鉄筋コンクリート作りの美しい現聖堂が献堂されました。設計者は山手教会信徒・チェコ人のスワガー氏です。
この司教座教会は教区の母なる教会であるだけでなく、1988年に横浜市の歴史的建造物に認定され市の文化的建物でもあります。聖堂両脇祭壇壁にはジラール神父、ルバルベ神父の遺骨が安置され、教会中庭には1868年(明治元年)にフランスから贈られたマリア像が建ち、尖塔の鐘は1874年(明治7年)にフランスから贈られたものです。また、初代聖堂のあった中区山下町80番地「横浜天主堂」跡地には、再宣教100周年を記念し1962年にイエス像が建てられ道行く人を招いております。 |
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山手本通り カトリック山手教会 |
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山手本通り カトリック山手教会 |
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山手本通り カトリック山手教会 界隈案内図 |
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山手本通り フェリス女学院 高校・中学校 |
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山手本通り 汐汲坂交差点
山手本通りは尾根伝いの道路なので、左右からの坂による交差点が続く。 |
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山手本通り 代官坂上交差点 |
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山手本通り 雙葉小学校入口交差点
交差点を渡った右に雙葉小学校があり、左側の手前に元町公園のべーリック・ホール、向いにエリスマン邸がある。、 |