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砂町銀座商店街(砂町銀座交差点〜砂町銀座入口交差点)〜明治通り 弾正橋

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区道102号を西進 区道102号を西進 

仙台堀川公園の西端を通る区道との交差点を渡る。
区道102号を西進 蓮光寺 区道102号を西進 蓮光寺 

手持ち地図で事前に目標としていた蓮光寺を確認し、砂町銀座への道であることが分かった。
 区道102号 砂町銀座交差点で丸八通りを渡り、砂町銀座へ 区道102号 砂町銀座交差点で丸八通りを渡り、砂町銀座へ 
 区道102号 砂町銀座交差点で丸八通りを渡り、砂町銀座へ 区道102号 砂町銀座交差点で丸八通りを渡り、砂町銀座へ 

歳末大売出しの銀色の枝飾りが付けられている。
 区道102号 砂町銀座交差点で丸八通りを渡り、砂町銀座へ 区道102号 砂町銀座交差点で丸八通りを渡り、砂町銀座へ 
歳末大売出しで賑わう砂町銀座を西進 歳末大売出しで賑わう砂町銀座を西進 
歳末大売出しで賑わう砂町銀座を西進 歳末大売出しで賑わう砂町銀座を西進 

下町を代表する有名商店街とするにはシャッター店もあり、閑散としているのには驚いた。しかし、この印象は西進するにつれ変わっていった。丸八通りから入ると自動車がすれ違える広さのある商店街であるが、途中で車1台がやっとの狭い道となり、それからは歳末大売出しで大賑わいの商店街となって明治通り側の出口に出る。
歳末大売出しで賑わう砂町銀座を西進 歳末大売出しで賑わう砂町銀座を西進 
歳末大売出しで賑わう砂町銀座を西進 赤札堂 砂町店 歳末大売出しで賑わう砂町銀座を西進 赤札堂 砂町店 

食品スーパーの赤札堂は東京深川で創業し、当時のキャッチコピーは「三等切符で一等のお買い物」「同じ品なら必ず安い」であった。当時は列車の三等切符が赤色であったことから、安売りのイメージからの命名であった。
歳末大売出しで賑わう砂町銀座を西進 特別売り出しで大混雑の青果店 歳末大売出しで賑わう砂町銀座を西進 特別売り出しで大混雑の青果店 
歳末大売出しで賑わう砂町銀座を西進 歳末大売出しで賑わう砂町銀座を西進 
歳末大売出しで賑わう砂町銀座を西進 歳末大売出しで賑わう砂町銀座を西進 
歳末大売出しで賑わう砂町銀座を西進 歳末大売出しで賑わう砂町銀座を西進 
歳末大売出しで賑わう砂町銀座を西進 歳末大売出しで賑わう砂町銀座を西進 
歳末大売出しで賑わう砂町銀座を西進 歳末大売出しで賑わう砂町銀座を西進 
歳末大売出しで賑わう砂町銀座を西進 歳末大売出しで賑わう砂町銀座を西進 
歳末大売出しで賑わう砂町銀座を西進 歳末大売出しで賑わう砂町銀座を西進 
歳末大売出しで賑わう砂町銀座を西進 歳末大売出しで賑わう砂町銀座を西進 
砂町銀座 砂町銀座入口交差点から明治通りへ 砂町銀座 砂町銀座入口交差点から明治通りへ 
砂町銀座 砂町銀座入口交差点から明治通りへ 砂町銀座 砂町銀座入口交差点から明治通りへ 
砂町銀座 砂町銀座入口交差点から明治通りへ 砂町銀座 砂町銀座入口交差点から明治通りへ 
砂町銀座 砂町銀座入口交差点 界隈案内図 砂町銀座 砂町銀座入口交差点 界隈案内図 

中央左右の線は明治通りで、右側斜め直線の下側が砂町銀座、左の白線は清洲橋通りである。
 砂町銀座 砂町銀座入口交差点から明治通りへ出て左折 砂町銀座 砂町銀座入口交差点から明治通りへ出て左折 
明治通りを南下 城東警察署 明治通りを南下 城東警察署 
 明治通りを南下 境川交差点で清洲橋通りを渡る 明治通りを南下 境川交差点で清洲橋通りを渡る 
 明治通りを南下 境川交差点で清洲橋通りを渡る 明治通りを南下 境川交差点で清洲橋通りを渡る 
明治通りを南下 境川交差点 界隈案内図 明治通りを南下 境川交差点 界隈案内図 
明治通りを南下 仙台堀川に架かる弾正橋 明治通りを南下 仙台堀川に架かる弾正橋 
明治通りを南下 仙台堀川に架かる弾正橋 明治通りを南下 仙台堀川に架かる弾正橋 

弾正橋由来

 弾正橋は、大正橋代、城東電気鉄度の鉄道橋として砂町運河に架設され、その後、明治通りの道路整備に伴い、昭和五年に道路及び鉄道橋として鋼橋に生まれ変わりました。
 この橋のすぐ西側には、木橋で架設された秋山橋があり、住民の通行の手段でしたが、この道路整備に伴い秋山橋も撒去されました。
 弾正橋の名前の由来は、もともと境川に架かっていた橋の名前でしたが、大正十三年からの震災復興事業のため境川が埋め立てられ、取り壊されたことを惜しみ、つけられたものです。
 なお、現在の南砂付近一帯は江戸時代から明治時代にかけ砂村新田と呼ばれ、その中に八つの地区があり、その一つが「弾正」でした.
 この橋の下を流れる仙台堀川は昭和五十三年からの埋め立てに伴い、同五十七年に親水公園となり地域の人々に親しまれてきました。
 平成の世となり、弾正橋も撤去の必要が生じ、ここに橋名板と、当時の橋の偲かげのレリーフを残し、橋の歴史を永くとどめるものとしました。



 
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