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東京メトロ 銀座線 浅草駅
銀座線 浅草駅〜浅草神社〜浅草寺ほおずき市(本堂東五重塔〜仲見世通り〜雷門)〜吾妻橋〜隅田公園(西岸)〜桜橋〜言問団子〜長命寺〜弘福寺〜三囲神社〜牛嶋神社〜隅田公園(旧水戸藩下屋敷
小梅邸)〜本所吾妻橋駅
【撮影記録】
平成28年 7月 10日 晴れ
11:15〜13:35(熱中症対策のため、桜橋手前、三囲神社、牛嶋神社で休憩して給水をした。) 8,200歩(概算 4.9km 地図上の距離 4.4km)
6日前の横浜での反省から熱中症対策を整えて歩いたが、1時間ほどで保冷剤がぬるくなるとは思わなかった。2組で2時間程度しか持たず、休憩の場所も余り取れなかった。それでもフラフラとなる熱中症症状はなく、中国人団体客の合間を歩いてほおずき市を見物した。しかし桜橋手前で休憩してからは休憩の感覚は狭まり、牛嶋神社では大休止となった。 |
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松屋浅草店前 新仲通り入口交差点で右折、馬道通りを北上
上野駅から大勢の中国人が乗り込んできたが、それとは別のグループが狭い歩道で通行の邪魔を無視して集まり、注意事項などを大声で話していた。交差点を渡った新仲通りも中国人で溢れており、浅草寺に行くのも大変である。 |
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馬道通りを北上
結局新仲通りを歩くのを断念し、馬道通りを北上した。たまに中国人に会うが、個人旅行なのでマナーも良く邪魔にはならない。 |
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馬道通りを北上 浅草二丁目交差点 |
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馬道通りを北上 浅草二丁目交差点
左折すると伝法院通りであるが、途中で仲見世通りと交差し浅草寺までは大混雑が予想されるので馬道通りを北上することとした。 |
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馬道通りを北上 二天門前交差点で左折、東参道へ
二天門から入ると浅草神社を経て本堂に直接出ることが出来る。その意味では正解だが、右折すると大きなバス駐車場があるのを忘れていた。そこから陸続と中国人の団体客が歩いてくるのを見て失敗に気づいた。それでも距離が短いのだから、と我慢した。 |
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馬道通りを北上 二天門前交差点で左折、東参道へ |
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東参道 浅草寺 二天門
小旗で誘導される中国人団体客が次々と現れ、大声で喚き散らし、写真を撮るタイミングが難しい。 |
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東参道 浅草寺 二天門
この二天門は、慶安二年(一六四九)頃に浅草寺の東門として建立されたようであるが、江戸時代を通じて浅草寺観観音堂の西側に建てられた東照宮の随身門と伝えられ、随身像が安置されていた。なお、浅草寺の東照宮は元和四年(一六一八)に建立されたが、寛永八年(一六三一)と同一九年の火災によって、浅草寺の他の諸堂とともに焼火し、その後東照宮は江戸城内の紅葉山に移された。 明治初年の神仏分離令によって門に安置された随身像は、仏教を守護する四天王のうち持国天・増長天の二天像に変わり、名称も二天門と改称した。 現在安置されている二天像は、京都七条の仏師、吉田兵部が江戸時代初期(十七紀後半)に制作したもので(東京都指定有形文化財)、昭和三十二年に寛永寺の厳有院殿(四代将軍徳川家綱)霊廟の勅使門から移されたものである。 二天門は昭和ニ十五年、国指定重要文化財に指定された。 |
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浅草寺 浅草神社 |
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浅草寺 浅草神社 境内風景 |
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浅草寺 浅草神社 境内風景
参道沿いに七夕の竹が立てられていたが、哀れなほど葉は枯れていた。 |
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浅草寺 浅草神社 境内風景
流石に中国人は興味が無いらしく、並んではいない。 |
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浅草寺 浅草神社 境内 熱中症計は厳重警戒
現在時刻は11:35で、温度34.2℃、湿度56%、熱中症計は厳重警戒である。
木陰は全て中国人団体客に占領されており、あまりの暑さで早々と熱中症対策の保冷剤を出して首周りの保護をせざるを得なかった。当初予定ではコースの半ばを越した弘福寺前後と思っていた。 |
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浅草寺 本堂前のほおずき市風景
浅草寺の公式ホームページによると、7月9、10日は四万六千日のご縁日と言われ、これに合わせてほおずき市が出来たと言われる。
観音さまのご縁日は「毎月18日」ですが、これとは別に室町時代以降に「功徳日(くどくび)」と呼ばれる縁日が新たに加えられました。月に一日設けられたこの日に参拝すると、百日分、千日分の参拝に相当するご利益(功徳)が得られると信仰されてきました。中でも7月10日の功徳は千日分と最も多く、「千日詣」と呼ばれていましたが、浅草寺では享保年間(1716〜36)ごろより「四万六千日」と呼ばれるようになり、そのご利益は46,000日分(約126年分)に相当するといわれるようになりました(この数については「米一升分の米粒の数が46,000粒にあたり、一升と一生をかけた」など諸説ございますが、定説はありません)。
なお、この10日を待って一番乗りで参拝したいという民衆の思いから、前日の9日より人出があって、7月9・10日の両日が四万六千日のご縁日と受け止められるようになりました。 また、この両日には「ほおずき市」が「四万六千日」のご縁日にちなんで開かれます。そもそもこの市は、芝の愛宕(あたご)神社の縁日に始まり、「ほおずきを水で鵜呑(うの)みにすると、大人は癪(しゃく)を切り、子どもは虫の気を去る」といわれるなど薬草として評判であったようです。その愛宕神社の縁日は観音さまの功徳日にならい四万六千日と呼んでいたのですが、やがて「四万六千日ならば浅草寺が本家本元」とされ、ほおずきの市が浅草寺境内にも立つようになり、かえって愛宕神社をしのぎ盛大になったと伝えられています。
一方、江戸の昔、落雷のあった農家で「赤とうもろこし」を吊るしていた農家だけが無事であったことから、文化年間(1804〜18)以後に「雷除(かみなりよけ)」として赤とうもろこしが売られるようになりました。ところが明治初年に不作が原因で赤とうもろこしの出店ができなかったことから、人々の要望により「四万六千日」のご縁日に「雷除」のお札が浅草寺から授与されるようになり、今日に至っています。 |
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浅草寺 本堂前のほおずき市風景
羽子板市は図柄が異なるだけの違いしかないが、ほおずき市は店によって売る内容が異なる。 |
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浅草寺 本堂東のほおずき市風景 |
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浅草寺 本堂東のほおずき市風景
全ての店を調べたわけではないが、鉢植えが2500円、切りたんぽと呼ばれる付いた枝が1300円である。買う時に職人から水のやり方などの注意がなされていた。 |
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浅草寺 本堂東のほおずき市風景 |
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浅草寺 本堂東のほおずき市風景
本堂と浅草神社との間の通路がほおずき市会場になっている。 |
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浅草寺 本堂東のほおずき市風景
11年前(平成17年)にもほおずき市に来たが、若い売り子の姿を結構見た。今回は中高年(というか高年齢者)の職人だらけだった。 |
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浅草寺 参拝者で賑わう本堂 |
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浅草寺 参拝者で賑わう本堂
意外だったのは中国人の団体客が結構多く参拝していたことである。同じ仏教国とはいえ、習慣も違うのにと思う。前回(平成17年)と比較すると賑わいぶりが分かる。 |