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三囲神社

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見番通りを南下 三囲神社の鳥居 見番通りを南下 三囲神社の鳥居 

見番通りを歩いていると、交差点角に唐突に立派な鳥居が見える。その横には三囲神社の大きな石碑が建つ。
見番通りを南下 三囲神社の鳥居 見番通りを南下 三囲神社の鳥居 
三囲神社 参道 鬼平情景 三囲神社 参道 鬼平情景 

三囲神社(三囲稲荷杜)

 三井家(越後屋)が江戸進出時に三囲の名にあやかって守護神としました。港区にあった三井八郎右衛門邸が小金井市の江戸東京たてもの園に移築される際には、屋敷神であった顕名霊社、三角鳥居、家紋の入った水鉢などが寄贈されました。
 鬼平犯科帳にも数回、登場しますが、特別長襴「迷路」の「妙法寺の九十郎」には、三囲稲荷社は、大川の堤の道を一段下った鳥居から田圃の中を松並木の参道が東に伸びた先にあり、境内は広くはないが、美しい木立と竹林に囲まれ、本社は立派なものであると、当時のたたずまいが描かれてぃます。
三囲神社 参道 由緒 三囲神社 参道 由緒 

 弘法大師が祀ったという田中稲荷が始まりとされる。当時は、現在地より北の田んぼの中にあった。文和年間(1352〜56)に近江の三井寺の僧である源慶が社を改築した折、土中から白狐にまたがる老翁の像を発見。その像の周りをどこからともなく現われた白狐が、三度回って消えたという縁起から「三囲」の名がつけられた。
 三井家は江戸進出時に、その名にあやかって、守護神とし、平成21(2009)年に旧三越池袋店からシンボルだった青銅製のライオン像が境内に移設された。
 日照りが続いていた元禄6(1693)年、俳人宝井其角が能因法師や小野小町の故事に倣い、「ゆたか」を頭字に詠みこんだ「ゆふだちや 田を見めぐりの 神ならば」の句を献じたところ、翌日には雨が降り評判になったという話が伝わっている。
三囲神社 境内 神楽殿 三囲神社 境内 神楽殿 
三囲神社 境内 神楽殿前 隅田川七福神めぐり 案内図 三囲神社 境内 神楽殿前 隅田川七福神めぐり 案内図 

三囲神社は恵比寿神と大黒神である。
三囲神社 境内 神楽殿前 三井グループ各社の碑 三囲神社 境内 神楽殿前 三井グループ各社の碑 

何かの記念碑と思われるが、最初に三井惣領家当主が名乗る三井八郎右衛門があり、三井商船、三井化学、三井住友銀行などの名が刻まれていう。
三囲神社 境内 社殿 三囲神社 境内 社殿 
三囲神社 境内 社殿前 由緒 三囲神社 境内 社殿前 由緒 

昭和17年1月の日付で由緒書きで、三井財閥との関係で記載されている。
三囲神社 境内 社殿 三囲神社 境内 社殿 
三囲神社 境内 社殿前 宝井其角「ゆふたちや」の句碑(雨乞の碑)  三囲神社 境内 社殿前 宝井其角「ゆふたちや」の句碑(雨乞の碑) 

宝井其角「ゆふたちや」の句碑(雨乞の碑)

 元禄六年(一六九三)は大変な干ばつで、秋の収穫を心配して困りきった小梅村の人々は三囲神社に集まり、鉦や太鼓を打ち雨乞いをしていました。ちょうど三囲神社に詣でた俳人其角が、このありさまをみて、能因法師などの雨乞の故事にならい「遊ふた地や田を兒めぐりの神ならば」と詠んだのです。この話は其角自選句集の『五元集』にも「うたえば翌日雨降る」と記されているように、早速効果があったと伝えられています。
 其角は寛文元年(一六六一)江戸に生まれ、姓を榎本、のちに宝井と称し、芭蕉門下第一の高弟として知られ、とくに洒落風の句を得意としました。この碑は安永六年(一七七七)に建立されたものが摩滅したので、明治六年(一八七三)に再建されたものです。
三囲神社 境内 社殿前 宝井其角「ゆふたちや」の句碑(雨乞の碑)  三囲神社 境内 社殿前 宝井其角「ゆふたちや」の句碑(雨乞の碑) 
三囲神社 境内 社殿前 熱中症計は危険 三囲神社 境内 社殿前 熱中症計は危険 

社殿前で給水した時に測った。現在時刻は13:05で、温度40.3℃、湿度46%、熱中症計は危険である。

前回は隅田公園に入った所で12:05に測ったが、36.0℃、湿度46%、熱中症計は危険であった。温度で4℃上がり、湿度は変わらない。

スポーツセンター前の山谷堀広場で熱中症対策の保冷剤を変えてまだ30分だが、すっかりヌルくなってきたが予備はなくそのまま使うことにした。
三囲神社 境内 社殿左 内社殿 三囲神社 境内 社殿左 内社殿 

隅田川七福神の恵比寿神と大黒神を祀る。

三囲神社 大國神 恵比寿神

 三囲神社の別殿には、古くから大國、恵比寿二神の神像が奉安されている。もとは三井の越後屋(今の三越)にまつられていたものである。江戸時代の終り頃、町人層の好みが世間のさまざまな分野で表面に現れ、多くの人びとによって支持された時代の流れの中で、隅田川七福神が創始されたとき、当社の二神もその中に組み込まれたのであった。
 大國神は慈悲円満と富貴の表徴、恵比寿神は豊漁をもたらす神、商家の繁栄を授ける神として、庶民の信仰を集め、その似かよった御神徳から一対の神として崇められることが多い。大國を同じ音の大黒とも書く。
三囲神社 境内 社殿左 内社殿 三囲神社 境内 社殿左 内社殿 
三囲神社 境内 三囲のライオン像 三囲神社 境内 三囲のライオン像 

 三越の旧池袋店から移した三越のシンボルであるライオン像は、大正3年当時の三越呉服店を率いた日比翁助がライオンを大いに好み、三越本店に一対のライオン像を据えたのにはじまる。戦後、本店の像をもとに各支店に設置されている。ライオン像の原形はロンドン・トラファルガー広場の有名なネルソン像をかこむライオンである。なお「現金安売り掛け値なし」という三井の越後屋の画期的な商売の仕方は大いに発展し、明治29年三越呉服店につながる。
三囲神社 境内 三囲のライオン像 三囲神社 境内 三囲のライオン像 



 
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