清水門〜北の丸公園〜靖国神社
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大日本帝国残影 靖国神社 点描 |
清水門から見た日本武道館 | |
北の丸公園 清水門 御三卿の一である清水家があった所で、内堀通り沿いにあり、九段坂下から竹橋に向う途中にあるが、目立たない。一ツ橋門は学士会館近くで今はなく、田安門は靖国神社前で立派な門である。 |
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北の丸公園 清水門 | |
北の丸公園 科学技術館 清水門から結構急な昔ながらの石段を上ると、目の前に科学技術館が見える。 このイベントの参加者は60歳代後半の人が多く、息を切らして傍らの休憩所で休む人が多かった。 |
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北の丸公園 案内図 中央の赤印が現在地で、その横が科学技術館、右手の茶色の建物が日本武道館である。 |
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北の丸公園 吉田茂像 科学技術館脇にある。 |
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北の丸公園 旧近衛連隊の跡地を森林公園として整備し、昭和44年4月に公開された。皇居内で一般公開されている東御苑をはさんで皇居外苑地区と連絡し、散策や自然観察などが楽しめる都心のオアシスだ。園内には日本武道館、 科学技術館、国立近代美術館などの施設もある。 近衛師団司令部庁舎は千鳥ヶ渕にあり、第一連隊、第二連隊記念碑は日本武道館に隣接してある。第三連隊は、六本木にあり麻布三連隊と呼ばれた。 |
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北の丸公園 近衛歩兵第二連隊記念碑 近衛歩兵第二聯隊は、明治七年一月二十三日、日本陸軍最初の歩兵聯隊として創設され、明治天皇より軍旗を親授せられて以来、昭和二十年大東亜戦争の終結に至るまで、七十余年の間この地に駐屯して日夜皇居の守護に任じ、この間明治十年西南の役、次いで日清、日露の各戦役に出戦し更には昭和には、日支事変にて南支、仏印へ出征し、輝しい勲功を残した。 近衛兵は毎年全国から選抜された、優秀な壮丁を以って編成されていた。 |
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北の丸公園 近衛歩兵第二連隊記念碑 | |
北の丸公園 近衛歩兵第二連隊記念碑 | |
北の丸公園 近衛歩兵第一連隊記念碑 近衛歩兵第一聯隊は、日本陸軍最初の歩兵聯隊として創設され、明治七年(一七八四)一月二十三日、明治天皇より軍旗を親授せられて以来、昭和二十年(一九四五)大東亜戦争の終末に至るまで、七十一年余りの間この地に駐屯して、日夜皇居の守護に任じ、大正天皇、今上天皇も皇太子であらせられたとき、それぞれ十年の長きに亘り御在隊遊ばされた名誉ある聯隊である。 西南・日清・日露の各戦役及び日華事変には、軍に従って出征して輝かしい勲功を樹て、大東亜戦争に於いては、帝都防衛の一翼を担った。 |
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北の丸公園 近衛歩兵第一連隊記念碑 | |
北の丸公園 近衛歩兵第一連隊記念碑 | |
北の丸公園 日本武道館 | |
北の丸公園 田安門 | |
北の丸公園 田安門 | |
北の丸公園 田安門 暖冬で開花日が3月中旬とは言え、さすがに桜並木にはその気配はない。 |
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靖国神社 大鳥居 明治2年、東京招魂社として創建。幕末から先の大戦までの間、国を守るために亡くなられた約246万人の神霊を祀っている。境内には近代陸軍の創設者・大村益次郎の銅像や平成14年にリニューアルされた、遺書遺品を展示する「遊就館」などがある。 また、桜の名所としても有名で、気象庁発表の「開花宣言」はここのソメイヨシノを調べて発表されている。 |
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靖国神社 大村益次郎銅像 | |
靖国神社 第二鳥居、神門 | |
靖国神社 中門鳥居、拝殿 | |
靖国神社 南門 中門鳥居手前で左折、南門から出て大妻通りを南下する。 |