品川神社
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| 新宿御苑と都会の富士塚を巡る(H18-09-09) | 
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|  | 品川神社入口の東海七福神案内図  上の道路が第一京浜、下が旧東海道である。品川神社は第一京浜の右側にある。 | 
|  | 品川神社(大黒天)  | 
|  | 品川神社(大黒天)  後鳥羽天皇の御世、文治三年(1187年)に、源頼朝が海上交通安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である、天比理乃  命(あめのひりのめのみこと)を勧請して、品川大明神と称し、今は社名を品川神社と改めた。 | 
|  | 品川神社(大黒天)  第一京浜沿いにある坂で、男坂と言われる。 | 
|  | 品川神社 品川富士  男坂を上った所の左手に小さな鳥居があり、そこから品川富士に登ることが出来る。品川富士は都内各所にある富士塚で、かなり高く、中央の標識は「七合目」である。 | 
|  | 品川神社 品川富士 山頂風景  | 
|  | 品川神社 品川富士 山頂風景  品川駅港南口に聳える高層ビル群がよく見える。 | 
|  | 品川神社 品川富士 山頂風景  品川神社の境内風景であるが、参道の人が小さく見える。 | 
|  | 品川神社 品川富士  | 
|  | 品川神社 品川富士  | 
|  | 品川神社 包丁塚  昭和52年に建てれた碑である。 そもそもここ品川の地は、往昔より江戸出入の要宿にして、近代となりてその地域広大となるも、まことに殷賑をきわめるゆえに調理をなりはいとする店多く、またそれらに使用されし庖丁数知れぬなり。 このたび品川区鮨商組合連合会発足二十五周年を記念しここ縁りの地品川神社の神域に庖丁塚を建立、調理に役し、使い古されし数多庖丁を納め、とわにその労を謝すと共に、同じくそれら庖丁により調理されし鳥獣魚介の類、はた又惣菜等を慰霊し、併せて業界の発展を期し、とこしえに連合会の隆昌を願うものなリ | 
|  | 品川神社 包丁塚  | 
|  | 品川神社(大黒天)  品川神社(大黒天) 第一京浜国道沿いの長い石段を上った高台にある神社。文治3年(1187)、源頼朝が海上の交通安全と祈願成就の守護神として安房国洲崎明神を勧請し、品川大明神と称したのがはじまりとされる。江戸時代には北品川稲荷社と称した。 | 
|  | 品川神社(大黒天)  女坂で緩やかである。 | 
|  | 品川神社(大黒天)  |