|  | 第一京浜を南下  
 磐井神社に行くため、京急本線の大森海岸駅から更に南下する。参拝後に戻って駅手前で左折し、西進する。
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      |  | 大森海岸駅近くの紅梅並木  
 まだ1月末であるが、暖冬の影響で満開に近い。
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      |  | 磐井神社(弁財天) 磐井の井戸  
 当社社名の由来となったこの井戸、「磐井」と呼ばれる古井で、東海道往来の旅人に利用され、霊水又は、薬水と称されて古来有名である。
 この位置はもと神社の境内であったが、国道の拡幅により、境域がせばめられたため、社前歩道上に遺存されることになった。
 土地の人々は、この井戸水を飲むと、心正しければ清水、心邪ならば塩水という伝説を伝えている。
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      |  | 磐井神社(弁財天)  | 
    
      |  | 磐井神社(弁財天)  
 延喜式に伝わる古社で、祭神に岩清水八幡を勧請し、鈴ヶ森八幡宮と称された。境内に祀る弁財天は古くより「笠嶋の祠」として名高く、また鈴ヶ森の地名の元になったという鈴石、烏の模様のある烏石や、第一京浜国道沿いの鳥居前にある磐井の井戸など、文化財が多い。
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      |  | 桜新道を北上  
 京急本線の大森海岸駅からJR大森駅に向い、途中で右折し桜並木が続く桜新道を歩く。
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      |  | 南大井3ー6丁目交差点で左折  
 「南大井3ー6丁目」と面白い名前である。
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      |  | 桐畑地下道の「縄文の道」表示板  
 JR京浜東北線の下にある地下道にいくつか飾られている表示板の一つである。出て池上通りを左折するとすぐに大森貝塚遺跡庭園がある。
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      |  | 大森貝塚遺跡庭園  | 
    
      |  | 大森貝塚遺跡庭園  | 
    
      |  | 大森貝塚遺跡庭園  
 アメリカ人動物学者・モースにより、明治10年(1877)に大森貝塚が発掘され、日本考古学発祥の地とされる。JR京浜東北線の線路沿いに大森貝塚碑が立ち、品川区がその周辺に大森貝塚遺跡庭園を開設。庭園内には貝層の標本をはじめ、学習広場・体験広場があり、縄文時代・大森貝塚について学習できる。
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      |  | 大森貝塚遺跡庭園  
 これが本物かどうかは分らないが、びっしりと何かがある、と言う感じである。貝とは見えない。
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      |  | 大森貝塚遺跡庭園  
 モース博士像である。
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      |  | 大森貝塚遺跡庭園  
 大森貝塚は、明治10年(1877)アメリカ人エドワード・S・モース博士によって発見され、日本で初めて学術調査が行われた縄文時代後期から晩期の貝塚遺跡で、日本考古学発祥の地である。
 品川区は、モース博士生誕の地であるアメリカ合衆国メイン州ポートランド市との姉妹都市提携を記念してこの碑を建立する。
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      |  | 大森貝塚遺跡庭園  
 庭園のすぐ傍をJR京浜東北線が走る。モース博士が車窓から貝塚を見つけた、と言う故事が理解できる。
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      |  | 池上通りを北上  
 大森貝塚遺跡庭園を出て、目の前の池上通りを歩く。
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      |  | 池上通り 鹿嶋神社  | 
    
      |  | 池上通り 鹿嶋神社  | 
    
      |  | 池上通り 品川歴史館  | 
    
      |  | 池上通り 品川歴史館  
 昭和60年に開館した品川区立の歴史資料館。品川区の貴重な文化と歴史にかかわる史料を収集・保存している。
 *改修工事のため4月中旬まで入館できません。
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      |  | 大井三ツ又商店街  
 池上通りが大井三ツ又交差点に来た所で大きく右折するが、その脇の小路がこの商店街である。交差点入口に身代わり地蔵があり、これが幟の絵になっている。
 この種のイベントにお決まりの商店街との連携はなく、小規模で閉まっている店もあり、単に大井町駅への通路として決めた感じである。
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      |  | JR京浜東北線 大井町駅  
 大井町駅の西南部で、右側はアトレ、正面がイトーヨーカ堂、写真にはないが左が阪急である。
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      |  | ゴール風景 JR京浜東北線 大井町駅  
 出発時と同じ中央口である。いつもは揃いのTシャツの受付の女性が制服姿なのが珍しい。
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