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京浜東北線沿いに南下 |
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陸橋手前のヴィアイン東京大井町角で右折、三ツ又商店街へ |
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三ツ又商店街を進む |
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三ツ又商店街 大井三ツ又地蔵
大井町駅に近く、池上や国道1号、馬込方面へと通じる道が合流する三差路に鎮座する地蔵尊。延命、子育て、厄除けにご利益があると地元の人々の信仰を集める。
坂を上った交差点に身代わり地蔵がある、と多くのホームページに書かれているが、本尊は観世音菩薩であり、地蔵ではない。場所が違うのか、と近くを探したが見当たらなかった。 |
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三ツ又商店街 大井三ツ又交差点で池上通りへ |
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池上通りを南下 |
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池上通り 大井警察署入口交差点 |
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池上通り 品川区立 歴史資料館
昭和60年に開館した品川区立の歴史資料館。品川区の貴重な文化と歴史にかかわる史料を収集・保存している。 |
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池上通り 品川区立 歴史資料館 |
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池上通り 鹿嶋神社
結構大きな神社であるが、故事来歴などの案内板はない。 |
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池上通り 鹿嶋神社 |
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池上通り 東急バス車庫前で左折
大森貝塚遺跡庭園は車庫の先であるが、係員が左折するよう指示しており、先行の人も曲がるので左折した。 |
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池上通り 桐畑地下道に進む
何故大森貝塚遺跡庭園の手前で曲がるのか、という懸念もあるが、係員の指示に従った。 |
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桐畑地下道を進む
地下道を出た所で直進すると鈴ヶ森刑場跡に進むことが分かり、池上通りに引き返す。同じような参加者もいた。 |
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池上通り 大森貝塚遺跡庭園
アメリカ人動物学者モース博士により、明治10年に大森貝塚が発掘され、日本考古学発祥の地とされる。JR京浜東北線の線路沿いに大森貝塚の碑が立ち、品川区がその周辺に大森貝塚遺跡庭園を開設。庭園内には貝層の標本をはじめ、学習広場・体験広場があり、縄文時代・大森貝塚について学習できる。 |
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大森貝塚遺跡庭園
現在地は中央下の赤印で、その上の丸い部分が縄文の広場である。庭園内にはモース博士胸像などがある。 |
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大森貝塚遺跡庭園 地層の回廊 |
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大森貝塚遺跡庭園 地層の回廊
貝塚の様子を示したもので、貝は本物ではない。 |
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大森貝塚遺跡庭園 熱中症計はほぼ安全
現在時刻は10:00で、温度20.7℃、湿度34%である。熱中症計はほぼ安全である。
秋空で爽やかな天気であるが、さすがに汗をかいている。 |
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池上通り 再び桐畑地下道に進む
東急バス車庫前の係員は、大森貝塚遺跡庭園を見物した人に対し道案内をしていることが分かった。しかし、立ち位置や仕草から見物前の人も地下道に行くよう指示しているように見え、戸惑いながらも見物前の参加者が地下道に進む光景も見えた。 |
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桜並木を東進
桐畑地下道を出て、桜並木を東進する。 |
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南大井三・六丁目交差点で桜新道を渡る |
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京急本線の高架下を進む
高架を過ぎるとi第一京浜である。 |
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第一京浜を渡り、右折
右側に鈴ヶ森刑場跡に隣接し、処刑された人の供養のため設けられた大経寺が見える。 |
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鈴ヶ森刑場跡 火炙台、磔台
右が火炙台、左が磔台の遺構である。
八百屋お七を初め、火炙の処刑者は皆この石上で生きたまま焼き殺された。真中の穴に鉄柱を立て足元に薪を積み縛り付けて処刑されたのである。
丸橋忠弥を初め、罪人がこの台の上で処刑された。真中の穴に丈余の角柱が立てられ、その上部に縛り付けて刺殺したのである。
ちなみに鈴ヶ森で最初の処刑者は、由比正雪とともに幕府転覆を企てたといわれる丸橋忠弥である。 |
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鈴ヶ森刑場跡
江戸幕府が慶安4年(1651)に設けた鈴ヶ森刑場の跡。振袖火事で死罪になった八百屋お七のほか、丸橋忠弥、天一坊らがここで処刑された。現在は大経寺の境内で、井戸や火灸りの鉄柱、傑の木柱を立てた礎石、お題目供養塔などが残されている。 |