一ツ木通り〜紀尾井町〜赤坂迎賓館
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赤坂通り 赤坂小交差点で左折 赤坂通り 赤坂小交差点で左折 

右折すると、港区のコミュニティバス「ちぃバス(赤坂ルート)」が檜町公園に向う。直進すると、このバスが赤坂のTBS経由で日枝山王神社に向かう。
赤坂 TBS 赤坂 TBS 
赤坂 報土寺 赤坂 報土寺 

三分坂の下にあり、江戸時代の大関 雷電為右衛門の墓がある。
赤坂 報土寺 雷電為右衛門の墓 赤坂 報土寺 雷電為右衛門の墓 

雷電為右衛門は、明和4年(1767年)に信州小諸で生まれ、文政8年(1825年)に江戸で死んだ。天明4年(1784年)に年寄浦風に弟子入り、寛政2年(1790年)から引退までの22年間のうち、大関(当時の最高位)の地位を保つこと33場所、250勝10敗の大業績を残した。
文化11年(1814年)に当寺に金を寄付したが、異形であったことと、寺院鐘楼新造の禁令に触れ、取り壊された。
赤坂 三分坂 赤坂 三分坂 

坂上にTBSがあり、余りの急坂のため車代が銀三分増しだったとか、坂下の渡しが一部だったのに対して言った、とも云われる。坂下には、雷電為右衛門の墓がある報土寺がある。
赤坂 三分坂の向こうにTBS 赤坂 三分坂の向こうにTBS 
赤坂 TBS近くから見たプルデンシャルタワー 赤坂 TBS近くから見たプルデンシャルタワー


TBSが坂の上にあり、そこから下って山脇学園の傍を通り、一ツ木通りに出る。プルデンシャルタワーは、日枝山王神社の隣にあり、大火災で有名なホテルニュージャパン跡に出来た。
赤坂 一ツ木通り 赤坂 一ツ木通り 

一ツ木通りのほぼ中央に出、左折して青山通りに向う。一ツ木通りは、江戸時代から近所に住む人や働く人のための商店街として発展してきた。
赤坂 一ツ木通り 赤坂 一ツ木通り 
赤坂 一ツ木通り沿いの赤坂不動尊 赤坂 一ツ木通り沿いの赤坂不動尊 

青山通りに出る傍にある。
赤坂 一ツ木通り沿いの赤坂不動尊 赤坂 一ツ木通り沿いの赤坂不動尊 

紀州大納言御祈願所の碑がある。紀伊藩は、赤坂見附の赤坂プリンスホテルに藩邸跡の碑があり、近い。
赤坂 一ツ木通り沿いの赤坂不動尊 赤坂 一ツ木通り沿いの赤坂不動尊 
赤坂 一ツ木通り 赤坂 一ツ木通り 

青山通り側の入口で、右折して赤坂見附に向う。
赤坂見附風景 赤坂見附風景 

正面の白い建物が赤坂プリンスホテルで、左側にはサントリー美術館がある。
赤坂見附 弁慶壕 赤坂見附 弁慶壕 

江戸城普請の大工の棟梁、弁慶小左衛門によって掘られた事に由来する。弁慶橋を渡り、右に赤坂プリンス、左にニューオオタニがある。その間を歩き、清水谷公園脇を通って左折、紀尾井坂に向う。
赤坂見附 赤坂プリンスホテル 赤坂見附 赤坂プリンスホテル 

この傍に紀伊藩中屋敷跡の碑がある。
赤坂見附 ホテル ニューオオタニ 赤坂見附 ホテル ニューオオタニ 
赤坂見附 清水谷公園 大久保利通公受難碑 赤坂見附 清水谷公園 大久保利通公受難碑
 

大きな碑で人目を引く。
紀尾井坂 紀尾井坂 

言うまでも無く、紀伊藩、尾張藩、彦根藩(井伊家)の屋敷があったことにより、維新後に名付けられた。
紀尾井坂 紀尾井ホール 紀尾井坂 紀尾井ホール 
紀尾井坂 喰違見付跡 紀尾井坂 喰違見付跡 

紀尾井坂を登り切った所にあり、土手の下をJR総武線、東京メトロ(旧営団)丸の内線が走り、上智大学の運動場がある。右折すると四谷駅、左折すると紀之国坂に出る。
紀尾井坂 喰違見付跡付近の堀端 紀尾井坂 喰違見付跡付近の堀端 
紀之国坂交差点で右折 紀之国坂交差点で右折 
紀之国坂交差点 赤坂御用地 紀之国坂交差点 赤坂御用地 
赤坂迎賓館前 若葉東公園 赤坂迎賓館前 若葉東公園 

迎賓館の前で、ギリシャ風の列柱があり、外堀通りと外苑の明治記念館から東宮御所を経て来る道路が合流することから、三角公園とも言う。
赤坂迎賓館 赤坂迎賓館 
赤坂迎賓館傍 学習院初等科 赤坂迎賓館傍 学習院初等科 

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乃木大将旧邸〜乃木公園〜乃木神社 於岩稲荷〜四谷三丁目交差点〜策の池〜四谷