国会前庭庭園〜三宅坂〜半蔵門

【関連サイト】 東京百景 皇居、丸の内界隈(H16−04−10)


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国会前庭庭園 和式庭園 国会前庭庭園 和式庭園 

国会前庭園は、財務省上交差点でほぼ真後ろに右折した所にある。
国会前庭庭園 和式庭園 国会前庭庭園 和式庭園 
国会正門前交差点 国会正門前交差点 

国会前交差点の南側に国会前庭庭園の和式庭園があり、北側に洋式庭園がある。
国会正門前交差点 国会正門前交差点 

国会議事堂の尖塔の右側が参議院、左が衆議院である。
町名由来 永田町一丁目 町名由来 永田町一丁目 

 「永田町」の名前が正式に生まれたのは明治五年(1872)のことです。江戸時代、このあたり一帯は武家地で、馬場のあった道筋に永田姓の旗本屋敷が並んでいたため「永田馬場」と呼ばれていたことが、この町名の由来です。江戸時代中ごろから現在の議事堂裏の通りは「永田町」と呼ばれ始めました。明治期には大半が軍用地に変わりましたが、国会議事堂が昭和十一年(1936)に完成すると、国政の機能が集中し、政治の中心地となりました。
国会前庭庭園 洋式庭園 国会前庭庭園 洋式庭園 

交差点を渡った所にあり、右手の道を進む。
国会前庭庭園 洋式庭園 日本水準原点標庫 国会前庭庭園 洋式庭園 日本水準原点標庫 

日本全国の統一された標高決定のための基準として、明治二十四年(一八九一)五月に水準原点が創設されたが、この建物はその水準原点標を保護するために建築されたものである。設計者はエ部大学校第一期生の佐立七次郎(一八五六〜一九二二)。建物は石造で平屋建。建築面積は一四・九uで、軒高三・七五m、総高四.三m。正面のプロポーションは柱廊とその上部のエンターブラチュア(帯状部)とペディメント(三角妻壁)のレリーフで特徽づけられる。
 日本水準原点標庫は石造による小規模な作品であるが、ローマ風神殿建築に倣い、トスカーナ式オーダー(配列形式)をもつ本格的な模範建築で、明治期の数少ない近代洋風建築として建築史上貴重である。
国会前庭庭園 洋式庭園 日本水準原点標庫 国会前庭庭園 洋式庭園 日本水準原点標庫 

日本水準原点について
日本水準原点は、全国の標高の基になるもので、明治24年5月国がここに設けたものです。
 水準原点の位置は、この建物の中心である台石に取り付けた水晶板の目盛の零線の中心で、その標高は24.4140メートルと定められています。この値は明治6年から長期にわたる東京湾の潮位観測による平均海面から求めたものです。
国会前庭庭園 洋式庭園 日本水準原点標庫 国会前庭庭園 洋式庭園 日本水準原点標庫 
国会前庭庭園 洋式庭園 三権分立時計塔 国会前庭庭園 洋式庭園 三権分立時計塔 
国会前庭庭園 洋式庭園 憲政記念館 国会前庭庭園 洋式庭園 憲政記念館 
国会前庭庭園 洋式庭園 憲政記念館 国会前庭庭園 洋式庭園 憲政記念館 

第1議会以来25回連続して当選し、憲政の神様と称される尾崎行雄(咢堂)像である。
憲政記念館前交差点から参議院沿いに西進 憲政記念館前交差点から参議院沿いに西進 
国立国会図書館 国立国会図書館 

30数年前の大学院生時代によく通ったが、その時と雰囲気は変わらない。第2外国語ではあるが、戦前の化学に関するドイツ文献は読めないので、引用しているアメリカの文献を探すのによく通った。
参議院通用門前交差点で右折、隼町交差点へ 参議院通用門前交差点で右折、隼町交差点へ 

中央奥の高いビルは赤坂見附のプルデンシャルタワーである。
隼町交差点に向かう 隼町交差点に向かう 

隼町交差点には今を時めく民主党本部がある。
隼町交差点で右折、青山通りへ 隼町交差点で右折、青山通りへ 
三宅坂交差点 平和の群像 三宅坂交差点 平和の群像 

平和の群像は三宅坂交差点に立つシンボルで、その背後にひっそりと蛮社の獄で自刃した渡辺崋山誕生の碑がある。渡辺崋山は小藩三宅家の家老であり、その藩邸内で生まれた。三宅坂の名の由来である。
三宅坂交差点社民党本部 三宅坂交差点社民党本部 
内堀通り 国立劇場 内堀通り 国立劇場 
内堀通り 半蔵門交差点 内堀通り 半蔵門交差点 

内堀通りは分岐し、左に曲がって新宿通りとなる。内堀通りはそのまま直進し、千鳥ヶ淵を経て、靖国神社に向かう。

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