新宿三丁目〜新宿御苑〜四谷四丁目
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浅草 鷲神社(平成20年二の酉) | ||
東京の名園 新宿御苑 |
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東京メトロ沿線ウォーキング #20 紅葉とアートで深まる秋を堪能 副都心線 新宿三丁目駅受付風景 新宿三丁目〜新宿御苑〜四谷四丁目〜外苑西通り〜神宮外苑 明治公園〜スタジアム通り〜神宮外苑 イチョウ並木〜赤坂御料地〜赤坂 豊川稲荷〜赤坂サカス〜東京ミッドタウン〜国立新美術館(総行程 9.5km) 【撮影記録】 平成20年 11月 29日 晴れ 09:45〜11:55 14,200歩(概算 11.4km) 2日後には12月なのに暖かく、最高気温16℃で汗をかくほどであった。このシリーズも最終回で、今後このような企画があるのかどうか不明である。都営地下鉄や、ゆりかもめ、東急と類似の企画は最近廃止され、JRも北関東や、甲信越開催がほとんどとなっている。 |
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東京メトロ 新宿三丁目駅 新宿三丁目駅は、従来の丸の内線、都営新宿線の他に、今年6月に副都心線としてもオープンした。この出入口は副都心線に合わせて作られており、明治通りの花園神社脇である。 |
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明治通りを南下 明治通りが分岐するので、右の明治通りに進む。左に行くと新宿2丁目交差点に出て、新宿御苑に向かう。 |
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明治通り 三の酉の花園神社 2週間前に二の酉で浅草の鷲神社に行ったが、三の酉が行われていた。 |
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明治通り 三の酉の花園神社 明治通りの参道から大鳥居を通って拝殿に向かう。参道は全て飲食関係の屋台が並び、熊手は全くない。 |
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明治通り 三の酉の花園神社 拝殿を中心に提灯の壁が見事である。 |
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明治通り 三の酉の花園神社 | |
明治通り 三の酉の花園神社 浅草の鷲神社は、境内所狭しと熊手を売る店があったが、花園神社は参道の横道に店があり、賑わいが少ない。鷲神社は酉の市の発祥の地と称するだけに歴史があるが、花園神社の酉の市は明治からである。 |
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明治通り 三の酉の花園神社 | |
明治通り 新宿三丁目交差点で左折、靖国通りへ | |
靖国通り 新宿二丁目交差点で右折、新宿御苑へ 新宿三丁目駅の出入口から出た所にある三叉路を左に向かうと、この交差点に出る。 |
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新宿通り、新宿御苑に向かう 新宿駅東口から紀伊国屋書店、伊勢丹を経て新宿通りが東南に走る。甲州街道は新宿通りに沿って、新宿御苑の北側の地下を走って四谷四丁目交差点で合流する。 |
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新宿御苑 新宿門 新宿御苑は、信州高遠藩主内藤氏の屋敷跡。その後皇室の庭園となり、戦後に国民公園として一般に開放された。 新宿御苑にはいくつかの門があるが、新宿駅に近いこともあり、メインの門である。 |
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新宿御苑 北側遊歩道のイチョウ並木 新宿御苑の北側にも見事な大イチョウがあるが、外の遊歩道にはイチョウ並木がある。 |
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新宿御苑 北側遊歩道のイチョウ並木 | |
新宿御苑 北側遊歩道のイチョウ並木 | |
新宿御苑 大木戸門 | |
新宿御苑 大木戸門 | |
新宿御苑 大木戸門から右折、新宿通りへ | |
新宿通り 玉川上水水番所跡、水道碑記、四谷大木戸跡 四谷四丁目交差点の手前にあり、四谷上水番所跡、水道碑記、四谷大木戸跡碑の3件の説明がされている。 |
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新宿通り 玉川上水水番所跡、水道碑記、四谷大木戸跡 右手の石碑は玉川上水水番所跡の碑である。 玉川上水開削の由来を記した記念碑で、高さ四六〇センチ、幅二三〇センチ。上部の篆字は徳川家達、撰文は胆付兼武、書は金井之恭、刻字は井亀泉によるもので、表面に七八〇字、裏面に一三〇字が陰刻されている。 碑の表面には明治十八年の年記が刻まれているが、建立計画中に発起人西座真治が死亡したため、一時中断し、真治の妻の努力により明治二十八年(一八九五)完成したものである(裏面銘文)。 左の角柱は、四谷大木戸跡の碑である。 都指定の旧跡・四ツ谷大木戸の記念碑。昭和34年の地下鉄丸の内線工事の際に出土した玉川上水の石樋を使っている。記念碑から約80m東の四ツ谷4丁目交差点が本来の場所。 第一京浜の泉岳寺の近くにある高輪大木戸跡は石垣の遺構があるが、四谷は碑だけである。 |
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新宿通り 四谷四丁目交差点で右折、外苑西通りへ | |
新宿通り 四谷四丁目交差点で右折、外苑西通りへ 新宿御苑の北側のトンネルを走ってきた甲州街道と合流、以後は新宿通りとなる。 |