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スタート 東京メトロ(旧営団) 千代田線 湯島駅
湯島駅〜不忍池〜上野公園〜黒田清輝記念館〜徳川綱吉霊廟勅額門〜寛永寺根本中堂〜諏訪台通り(初音のみち)〜谷中ぎんざ〜団子坂下交差点〜根津神社〜本郷弥生交差点〜東大本郷〜本富士警察署前交差点〜春日通り〜湯島天神〜湯島駅(総行程 8km)
【撮影記録】
平成22年 3月 3日 晴れ
10:30〜13:50 13,700歩(概算 9.6km)
暖かく晴天が続いた1月と違い、例年になく雪が降り、どんよりした曇り空や、雨が降る2月だった。久しぶりの晴れで、今後1週間以上曇ったり雨が降るとの天気予報のため、膝痛で体調が良くなかったが、満開の梅を撮りに歩き回った。距離の割には時間がかかったのも休憩しながらのためである。 |
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不忍通り 天神下交差点で春日通りを渡る |
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不忍通り 天神下交差点で春日通りを渡る
天神下交差点の春日通り沿いには湯島天神の梅まつりの幟が掲げられている。 |
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不忍通り 突き当りの池之端一丁目交差点で不忍池に入る
不忍池に入ったら左折し、不忍通り沿いに歩く。 |
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池之端一丁目交差点で見た不忍池
枯れた蓮の茎が侘しさを漂わせるが、奥に弁天堂が見える。 |
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不忍池 不忍通り沿いに歩く |
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不忍池 染井吉野の桜並木の遊歩道を進む |
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不忍池 ボート乗り場
弁天堂手前にボート乗り場がある。 |
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不忍池 弁天堂 |
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不忍池 弁天堂 |
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不忍池 弁天堂
寛永二(一六二五)天海僧正は、比叡山延暦寺にならい、上野台地に東叡山寛永寺を創建した。不忍池は、琵琶湖に見立てられ、竹生島に因んで、常陸(現茨城県)下館城主水谷勝隆が池中に中之島(弁天島)を築き、さらに竹生島の宝厳寺の大弁才天を勧請し、弁天堂を建立した。
当初、弁天島へは小船で渡っていたが、寛文年間(一六六一〜七ニ)に石橋が架けられて、自由に往来できるようになり、弁天島は弁天堂に参詣する人々や行楽の人々で賑わった。
弁天堂は、昭和二十年の空襲で焼失し、昭和三十三年九月に再建された。弁天堂本尊は、慈覚大師の作と伝えられる八臂の大弁才天、脇士は毘沙門天、大黒天である。
本堂天井には、児玉希望画伯による「金竜」の図が画かれている。また、本堂前、手水鉢の天井に、天保三年(一八三二)と銘のある谷文晁による「水墨の竜」を見ることができる。
大祭は、九月の巳の日で、巳成金という。 |
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不忍池 弁天堂界隈の色々な碑
弁天堂の周囲には慰霊碑、記念碑、顕彰碑など狭い場所に一杯の碑が設けられている。 |
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弁天堂前交差点で動物園通りを渡り、清水坂を上る
坂の上に寛永寺清水観音堂があり、坂の名はその堂の名称にちなむ。清水観音堂は寛永八年(一六三一) に京都の清水寺を模し摺鉢山の上に創建された。 |